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【ローマ教皇来日】「祖先も喜んでいる」 ミサに参列、長崎・外海のかくれキリシタン

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枯松神社祭で「オラショ」を奉納したかくれキリシタン代表の村上茂則さん=3日午後、長崎市(恵守乾撮影)
枯松神社祭で「オラショ」を奉納したかくれキリシタン代表の村上茂則さん=3日午後、長崎市(恵守乾撮影)

 24日に長崎市内で執り行われたローマ教皇(法王)のミサには、キリスト禁教下の信仰形態を守り続ける「かくれキリシタン」も参列した。市内でも独自の祈りを受け継ぐ数少ない地とされる外海(そとめ)地方のかくれ信者、村上茂則さん(69)=同市下黒崎町=は「『ローマのお頭さま』と祖先が慕っていた方。祖先が一番喜んでいるはず」と喜びをかみしめた。(桑村朋)

 激しい雷雨だった朝から一変、晴天のもと行われた午後のミサ。カトリックへ復帰せず、独自の信仰を持つかくれ信者として、村上さんはカトリック教会トップの教皇フランシスコが祈る姿を静かに見守った。

 小高い山と海に囲まれた外海地方は、かくれキリシタンの里。村上さんの住む下黒崎町付近には、キリシタン神社「枯松(かれまつ)神社」があり、信者約50人が暮らす。

 地域では、禁教下にキリシタンの多くが寺の檀家(だんか)になり、仏教徒を装って信仰を継続。禁教が解かれた後も、かくれキリシタンとカトリックに帰依した人、仏教徒の3者に分かれた。過去にはわだかまりもあったが、約20年前から3者の融和を図るため、枯松神社で慰霊祭が営まれる。

 生後3日で洗礼を受けた村上さんは、いまも口承されてきたオラショ(祈り)を唱え、洗礼やクリスマスなどの信者行事を記した「バスチャン暦」という独自の暦の下で暮らす。

 指を組んだ手の中に十字架を隠し、無言でオラショを唱えていた時代が続き、声を出すようになったのはわずか40年前のことだ。「禁教が解かれた後も、『ばれたら処刑される』という意識が残っていた。それだけ厳しい弾圧だったのだろう」

 平成17年に亡父の跡を継ぎ、かくれ信者組織の責任者である7代目帳方(ちょうかた)を務める。当時は信仰とは無縁の生活だったが、数百年続いた信仰をなくすのは先祖への裏切りと継承を決めた。

 地域には、「7代のちに海の向こうから告白を聞く司祭がくる」という伝道師の預言が伝わるが、「預言通り7代目帳方の私に会いに来てくださった」。ミサを終え、感慨深げに語る。

 地元のかくれ信者は激減している。村上さんは「信仰は心のよりどころ。先祖がつないだ奇跡だ。欲をいえば、教皇には『禁教時代の先祖がいたから今があるんだ』と踏み込んでほしかったが、私で途絶えさせてはならないとの思いもより強くなった」と笑顔を浮かべた。

■かくれキリシタン 江戸期の禁教下で仏教や神道の信仰を装いながら、独自のキリスト信仰をひそかに守り抜いた人々を「潜伏キリシタン」、明治の禁教令解除後も潜伏期の儀礼や行事を守り続けた人々を「かくれキリシタン」と呼び分ける。現在も長崎市の外海地区、長崎県平戸市の生月(いきつき)島、五島列島にかくれ信者が存在するが、過疎化や継承者不足で激減している。

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