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【変わる多国籍の街・新大久保】(2)悪化する日韓関係に…

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新大久保で40年近く韓国家庭料理店を営業する「ハレルヤ」。総料理長の金東柱さん(右)と従業員=新宿区(大渡美咲撮影)
新大久保で40年近く韓国家庭料理店を営業する「ハレルヤ」。総料理長の金東柱さん(右)と従業員=新宿区(大渡美咲撮影)

 「昔は本格的な韓国料理を食べるところがなかったので、日本に住む韓国人に故郷の味を楽しんでもらおうと父が始めたんです」

 東京都新宿区の新大久保で最初に韓国家庭料理店を開いたと言われている「ハレルヤ」。総料理長の金東柱(キム・ドンジュ)さん(60)は父親から店を譲り受け、店は40年近く続いている。

 「昔は歌舞伎町の裏で暗いイメージがあった。女性客はほとんどいなかったけど、今は若い女性が多い。だいぶ変わったね」と金さん。街が変わっても長く店を続ける秘訣(ひけつ)は「流行にも気をつけつつ、ベースは変わらず地道にやること」と胸を張る。

 新宿区に住む外国人は住民全体の12・44%(1月1日時点)。中国に次いで韓国が多い。JR新大久保駅周辺の百人町、大久保に住む外国人は1万331人(8月1日時点)で、住民の約3割に上る。

 韓国人が徐々に増え始めたのは、1988(昭和63)年のソウル五輪の後。翌年に韓国の海外旅行が完全自由化され、日本も昭和58年に当時の中曽根康弘首相が「留学生受け入れ10万人計画」を指示し、積極的に留学生を受け入れている時期だった。

 新大久保に残っていた家賃の安いアパートに留学生などの外国人が入居し、歌舞伎町で働く通勤などの道に同胞向けの店が徐々にできていったという。そうした店のアルバイトなどでさらに住民は増えていった。

 「日本に来たころは、ルールが分からず、ゴミの出し方や夜中に洗濯をして怒られたこともあった」

 28年前に来日し、化粧品店を営む申大永(シン・デヨン)さん(53)はそう振り返る。申さんは「韓流ブーム」のまっただ中に独立した。平成14年のサッカーワールドカップ日韓大会開催、15年の「冬のソナタ」ブームで新大久保は「韓流の聖地」として全国にその名が広まっていった。

 新定住者だった韓国人も今では古株だ。街に根付いて長く商売をする韓国人は、新大久保に新たに住む外国人の先輩としてアドバイスする立場にもなった。新宿区もゴミの出し方などを多言語で説明している。

 申さんは「国は違っても日本に住む外国人としてアドバイスをすることができる。外国人として試行錯誤した経験を伝えていくのも自分たちの役目」と語った。

 昨年から、日韓関係は悪化の一途をたどっているが、新大久保はどこ吹く風だ。現在のブームを牽引(けんいん)する若者は主にSNS(会員制交流サイト)で情報収集し、情勢に左右されずに新大久保を訪れる。しかし、以前は社会や政治の影響を受けることもあった。

 23年3月の東日本大震災、24年8月の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸、続く嫌韓デモの影響で客足が激減。23年には600店舗ほどあった韓国系の店は減少した。29年ごろから、防弾少年団やTWICEなどのK-POPや食文化、コスメなど韓国カルチャーの流行で再び活気を取り戻し、400店舗ほどまで盛り返した。

 一時期、食べ歩きとポイ捨てが問題になることがあった。道が狭くごみ箱を置けないため、隠すように捨てられていることもあったという。新宿韓国商人連合会が中心となって有志10店舗がお金を出し合って掃除係を雇ったり、啓蒙(けいもう)活動をしたりして解決した。

 同連合会会長で韓国家庭料理店「妻家房(さいかぼう)」などを営む呉永錫(オ・ヨンソク)さんは「新大久保はさまざまな経験を乗り越えて日本人、韓国人関係なく協力している。政治は政治でいろいろあるが、食や文化、民間は違う。国や言葉の違いを乗り越えて話をして、ともに街を守っていきたい」と話した。(大渡美咲)

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