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ドナルド・キーンさん死去 「日本のことを考えない日はなかった」

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法被に鉢巻き姿で御白石持行事に参加した、日本文学研究者のドナルド・キーンさん(中央)=2013年8月、三重県伊勢市
法被に鉢巻き姿で御白石持行事に参加した、日本文学研究者のドナルド・キーンさん(中央)=2013年8月、三重県伊勢市
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 日本と日本文学をこよなく愛し、晩年は日本に帰化したドナルド・キーンさんが24日、96歳で亡くなった。自在に日本語を操り、多くの日本人文学者と親交を深めた。英語と日本語の双方で執筆し、海外に広く日本文学を紹介するとともに、日本人に古典文学の魅力を再認識させた功績も大きい。

 日米関係の雲行きが怪しくなっていた1940年、18歳だったキーン氏はニューヨークの書店で「源氏物語」の英訳書を手にしたのが日本文学との出会いだった。英国の東洋文学者、アーサー・ウェイリー氏(1889~1966年)による訳文のすばらしさに強くひかれたといい「実生活が醜い中、美しい別の世界が目の前に現れてきた」と後年、話していた。

 戦時中は海軍の情報将校として沖縄などに従軍。捕虜になったことを恥じて死を求める日本兵を「日本の再建のために生きるべきだ」と説得したという。

 昭和28年から2年間、京都大大学院に留学。このとき、後に文部相となる永井道雄氏と知り合い、当時の中央公論社社長・嶋中鵬二氏を紹介されて、日本人作家への人脈を広げた。「当時、日本文学を学ぶ外国人留学生はほんの数人しかいなかったから、高名な作家も、おそらくは好奇心にかられたのであろうが私のような留学生を喜んで自宅に招き入れ、時間も気にせず接してくれたものだ」と自著で振り返っている。安部公房、司馬遼太郎さんらとの交友の記録は著書「思い出の作家たち」に詳しい。

 平成23年の東日本大震災発生直後に日本へ帰化することを表明し、大きな反響を呼んだ。同年秋に来日した際には、真っ先に中尊寺(岩手県)を訪問し講演。「(昭和30年に)初めて中尊寺に参詣してから現在まで、日本のことを考えない日はおそらく一度もありませんでした。そういうことで、私は日本と日本人に特別な縁があるとしか思えません」と聴衆に語っていたのが印象的だった。

 来日後も講演や著作集(全15巻)の刊行で多忙な日々を送った。日本永住にあたり、鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)という当て字を考案。鬼怒川と鳴門海峡にちなみ、「怒」の字を2回読む凝りようだ。普段はカタカナの名刺を使い漢字の名刺は「人を笑わせるために使います」と話して笑いを誘うなど、ユーモアを解する気さくな人柄で親しまれていた。(溝上健良)

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