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【正木利和の審美眼を磨く】書を芸術にまで引き上げた名筆

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祭姪文稿(さいてつぶんこう)部分 顔真卿(がんしんけい)筆 唐時代・乾元元年(758) 台北 國立故宮博物院蔵
祭姪文稿(さいてつぶんこう)部分 顔真卿(がんしんけい)筆 唐時代・乾元元年(758) 台北 國立故宮博物院蔵

 日本画家、村上華岳や、あの北大路魯山人の名品をもつ何必館・京都現代美術館の梶川芳友館長に出会ってしばらくのころのこと。

 魯山人の書を見ていたときに、梶川さんがこんな言葉をもらした。

 「絵は読むもの、書は見るものです」

 まったく同感だった。

 絵をじっと見つめていると、さまざまな疑問が浮かんでくる。

 たとえば、なぜ、ここに窓があるのかとか、なぜ、ここにびんを置いたのかとか、壁の絵は、何を語りかけているのか、とか…。

 いわば、知らぬ間に絵の中に描かれたものの意味をさぐっているのである。

 読むもの、というのは、そういうことだ。

 それにひきかえ、書の美になぜはない。

 書は、線と点からなる。文字は、その組み合わせでできあがっている。その文字を連ねて文章にし、書き手は送り手に自分の意思を伝える。

 書はもともとそうしたツールだった。

 漢字は、古代の篆書(てんしょ)からはじまり、隷書(れいしょ)、草書とかたちを変え、行書、楷書(かいしょ)という道をたどる。当初は獣の骨や石に刻みつけられていたものが、竹を削ったものや紙に墨書されるようになって隷書、草書が生まれ、さらに形が整えられて行書、楷書が登場すると、そこに美意識が育まれてくる。

 そうして、時代のなかに能書家といわれる書き手が登場してくるのである。たとえば、東晋時代の王羲之(303~361年)はその代表的な人物だ。彼は後世、「書聖」と評されることになる。

 このスーパースターによって「書の美」は確立され、彼の字は美の基準となってゆくのである。

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 王羲之は生前からスーパースターだった。それは、彼の書いた文字が、当時から高値で取引されていたという逸話がのこっていることからもわかるにちがいない。行書の名品として名高い「蘭亭序」をはじめ王羲之の書は、まさに中国書道界の教則となってゆく。

 唐代に入り、自分も能書家だった太宗は、国中から王羲之の真筆をかき集めた。そうして、欧陽詢(おうようじゅん)や虞世南(ぐせいなん)ら書のうまい家臣にコピーをつくらせる。真筆は太宗の死とともに葬られたが、そうしたコピーは残り、後世に引き継がれていった。

 7世紀に活躍した欧陽、虞と●遂良(ちょすいりょう)を唐代の三大家と呼ぶが、8世紀に入り革新をもたらす書家が登場する。顔真卿(がんしんけい=709~785年)である。

 東京国立博物館で開催されている「顔真卿-王羲之を超えた名筆-」(2月24日まで)には、台北・國立故宮博物院からやってきた彼の真筆「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」が公開されている。

 安禄山の乱で犠牲になったおいの季明を悼み、祭った文の行書の草稿で、非業の死を遂げたおいへの悲嘆が書のなかから浮かび上がってくるようだ、といわれている。

 この「祭姪文稿」にはさすがに行列ができていて、1時間待ってようやく少しだけ鑑賞できたのだが、周囲から聞こえてくるのは中国語ばかり。いまや書家として名高い顔真卿だが、実は安禄山の乱で平原太守として孤軍奮闘したことから、武将としても高名である。唐代では忠義の臣としての名のほうが知られていたともいわれている。きっといまも母国で伝説的なヒーローなのであろう。

 それが、書家として高く評価されるようになったのは、宋の時代に入ってからのことだ。いわば、宋の書家たちが再評価した結果だといってもいい。

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 「祭姪文稿」は激情の書である。筆は感情にまかせて走る。書き損じた部分を線で消し、あるいは塗りつぶすなど、筆者のむきだしの情がほとばしる。

 端正ということばからほど遠い、いわばアバンギャルドな書なのである。

 この前衛の書を、宋の蘇軾(そしょく)や黄庭堅(こうていけん)といった文人たちがたたえた。

 《文章、字法、みなよく人を動かす》

 こう評したのは黄庭堅である。

 また、蘇軾は書家としての顔真卿について、以下のような賛辞を残している。

 《古今の筆法を集成し、書の変化を極めた》

 王羲之の流れをくみながら、その枠を飛び越えていった書家。それが、顔真卿だというのである。

 顔の情にまかせて筆を走らせる筆法に触発された蘇軾と黄庭堅は、まれに見る傑作を残した。

 「黄州寒食詩巻」とその「跋」である。本文を蘇軾、跋文を黄庭堅がしるしたもので、これを史上最高の書に推す書家も多い。

 そうした顔の影響は、実は日本の書にももたらされている。三筆のひとり、空海の著名な「風信帖」は、顔の「祭姪文稿」との類似性が指摘されている。

 遣唐使だった空海は、大陸で王羲之の書を学び、そして当時のニューモードだった顔の書法も身につけて帰国したといわれている。

 顔の楷書は、蚕頭燕尾といわれるその字形から「看板の文字」と揶揄(やゆ)されることもある。しかし、美しいからこそ、彼の書は後世にのこった。

 また、行草書は情のおもむくままに筆を走らせたがゆえに、王羲之を超えて後世に大きな影響を与えてゆく。

 書が芸術というステージを駆け上ってゆくとき、必ず通らなければならない革新的な大家が顔真卿という書家であるとすれば、「祭姪文稿」は、ひと目でも見ておく価値のある、傑出したアート作品なのである。

 【プロフィル】正木利和(まさき・としかず) 産経新聞文化部編集委員。入社はいまはなき大阪新聞。産経新聞に異動となって社会部に配属。その後、運動部、文化部と渡り歩く。社会人になって30年強になるが、勤務地は大阪本社を離れたことがない。その間、薄給をやりくりしながら、書画骨董から洋服や靴、万年筆に時計など、メガネにかなったものを集めてきた。本欄は、さまざまな「モノ」にまつわるエピソード(うんちく)を中心に、「美」とは何かを考えながら、つづっていこうと思っている。乞うご期待。

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