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【解答乱麻】学校は何のためにあるのか 教育評論家・石井昌浩

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 学校は、本来担うべき役割を見失っているのではないか。学校教育をめぐる最近の動きを見ていると、そう感じる。

 もともと学校とは、子供たちが社会に出てから一人前に生きていけるように自律できる能力を身につける場として作られた施設である。

 さまざまな教育論があり、学校論があるが、学校が本来担う役割は、子供たちに自律の力を授けることだと思う。

 たとえいかに社会が変化しようとも、これからの子供たちに必要とされることは、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断して行動し、よりよく問題を解決する力を身につけることである。

 それがいつの間にか、学校や家庭において大人が先回りしてあれこれ手厚く世話を焼き過ぎ、子供が自律する芽を摘んでしまっているのではないか。子供たちは必要な自律ができないまま、社会に送り出されている。

 教師は、本来業務である授業以外の仕事に長時間追われて疲れ果て、最も大切な役目である子供たちと触れ合う時間が不足している。教師として本末転倒した日常に陥っている。どう考えても異常な姿である。

 文部科学省の調査では、小学校教師の3割、中学校教師の6割が過労死ラインとされる月平均80時間以上の時間外勤務をしている。しかも時間外手当は支払われていない。なぜなら、「教職給与特別法」により超勤手当、休日手当を支給しないと定めているからだ。

 文科省の試算によれば「残業代」は1年間で9千億円に達するとされる。この巨額な「残業代」を清算したところで、教師の働き方を見直さない限り問題は何も解決しない。そもそも学校は何のためにあるのか、教師は何のために働くのかという根本のところに踏み込まなければ、問題の解決にはならない。

 最近の学校は、社会の各方面からの多様でもっともな要請を断り切れずに引き受けている。そのため、「○○教育」と言われるさまざまなものが、雨後の筍(たけのこ)のようにめじろ押しだ。減らす仕事はなく増える一方なので、気がつくと教師の仕事量は際限なく増え続けている。

 新たに小学校のプログラミング教育、小学校5・6年からの英語教育も待ったなしで控えている。あれもこれもと守備範囲は広がるばかりである。

 授業のための新しい準備をしなければ、教師は子供たちに自信を持って教えることはできない。教科書をなぞるだけの通り一遍の教え方では子供の心に何も響くものはないからだ。

 しかし、教師が忙し過ぎるといくら訴えても、きまって世間からは「民間はもっと厳しく忙しい。教師は身分が安定しているし、給料だって恵まれている」という冷めた言葉が返ってくるのが常である。

 何より、多忙な仕事の中身が教育本来の職務から次第に離れつつあることが気になる。教師にとって、子供たちにとって、そして保護者にとって一番大事なものは何かという根本に立ち返って考えることが必要だ。

 戦後70年、教育改革は幾度も試みられてきたが、子供たちの自立心をはぐくむ本来の目的に照らせば、いずれも不十分な改革のままに終わっていた。

 子供たちに求められる自立心とは、何者にも媚(こ)びることなく、何者にも頼らず、何者をも恐れない気概、「独立自尊」の精神を生涯にわたって持ち続けることである。

 そして教師に求められるのは、教え子たちが、かけがえのない自分を、どこかで自分なりに花開かせるように、励まし続けることである。

                   

【プロフィル】石井昌浩(いしい・まさひろ) 都立教育研究所次長、国立市教育長など歴任。著書に『学校が泣いている』『丸投げされる学校』。

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