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150年経っても忠臣揺るがず 18代当主感激! “徳川家臣団”が静岡に集結

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150年経っても忠臣揺るがず 18代当主感激! “徳川家臣団”が静岡に集結

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 将軍を隠居した徳川家康が暮らした静岡市で16日、徳川の家臣の子孫らを集めた「平成の“徳川家臣団”大会in駿府」が開催された。来年の家康没後400年記念事業に先駆け、「家康のまち」をPRしようと静岡商工会議所などが企画した。三河以来の旗本から、幕末に幕臣に取り立てられた水夫まで、さまざまな出自の子孫や関係者ら1200人が一堂に会し、徳川260年の歴史に思いをはせた。

 冒頭、岡崎市の観光PR武将隊、「グレート家康公『葵』武将隊」が登場。甲冑姿の徳川家康、本多忠勝、水野勝成の3人が参加者とともに勝ちどきを上げて大会が開幕した。居並ぶ家臣団の子孫を前に、徳川宗家の18代当主、徳川恒孝(つねなり)さん(74)は「こんなにたくさんの方に集まっていただけるとは」と感激を隠しきれない様子であいさつした。

 大会には徳川家臣団の子孫が作る5つの団体約130人が参加。「牧之原開拓幕臣子孫の会」の大草省吾さん(69)は、明治政府への徹底抗戦を叫ぶ勢力から徳川慶喜を護衛した「精鋭隊」の副隊長、大草高重の子孫だ。高重ら隊員約240人は、明治2(1869)年に静岡県牧之原市の牧之原台地に約14平方キロメートルの土地を徳川家達から下賜され、入植して牧之原茶業を発展させた。

 大学事務職員として勤務のかたわら、高重が残した5反の茶園を守り続けた大草さんは「幕臣にとって農業を営むことは苦渋の決断だったはず。今の若い人にも武士が茶畑を開墾した、という事実を知ってほしい」と訴えた。

 子孫の中には、ご先祖さまと似た道を歩む人も。万延元(1860)年に日米修好通商条約の批准書交換のため、幕府が初めて派遣した遣米使節団。その副使、村垣淡路守範正の子孫の村垣孝さん(73)は、旧通産省入省を経て世界銀行に定年まで勤務し、現在は米メリーランド州に在住。「日米関係の礎を築いたご先祖と通じるものがあるのかな」と祖先と自分を重ね合わせた。

 遣米使節団の別船で、幕府の船として初めて太平洋を横断した「咸臨丸」の水主(かこ)小頭だった大熊実次郎の子孫、藤本増夫さん(62)は現在、大阪市内で障害者を対象としたセーリング教室を運営。「瀬戸内海といえば村上水軍が有名だが、実次郎のいた塩飽(しわく)の船乗りたちの方が実際の船の扱いにはたけていた」と胸を張る。

 大会では戦国時代史研究者の小和田哲男・静岡大学名誉教授(70)が「徳川家臣団の固い絆」と題して講演。家康と信長・秀吉家臣団を比較し「人の長所をとれ」「宝の中の宝といふは、人材にしくはなし」といった家康の語録を紹介して、徳川家臣団の結束の強さを強調した。

 また、パネルディスカッションも行われ、勝海舟の玄孫で、フリーライターの高山(こうやま)みな子さんや、榎本武揚の曾孫で、光学レンズの製造・加工会社を経営し、現在は東京農業大学客員教授を務める榎本隆充さん(79)が参加。日本の近代化の過程で元家臣たちが果たした役割などを語り合った。

 会場のあちこちでは、幕臣の子孫たちが和やかに談笑。三河以来の旗本や御家人の子孫などからなり、現在も徳川宗家の日光東照宮参拝のお供を続ける「柳営会」の佐藤任宏(たかひろ)副会長(75)は「“同じ職場”で働いていた者の子孫が、150年ぶりに会うことができるなんて奇跡的。このつながりを広げていきたい」と話していた。

 (村嶋和樹)

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