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【論壇時評】2月号 「官邸主導」とトップダウンの限界 文化部・磨井慎吾

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緊急事態宣言の発令に伴う菅義偉首相の記者会見を伝える新宿駅前の街頭ビジョン=7日午後、東京都新宿区(松本健吾撮影)
緊急事態宣言の発令に伴う菅義偉首相の記者会見を伝える新宿駅前の街頭ビジョン=7日午後、東京都新宿区(松本健吾撮影)

 1月7日に2回目の緊急事態宣言が発令された。昨年末からの新型コロナウイルス感染状況悪化を受けての措置だが、感染者数増加と反比例する形で、就任4カ月を迎えた菅義偉(すが・よしひで)内閣の支持率が急落している。発足当初の“ご祝儀相場”めいた高支持率が消え、いよいよ実績で評価される局面に入った菅政権に対し、複数の媒体でシビアな論評が目についた月となった。

 そうした批判の急先鋒(せんぽう)が、政治学者の片山杜秀(もりひで)「菅『敗戦処理内閣』の自爆」(文芸春秋)。現政権の綻(ほころ)びの根本的原因について、安倍晋三前政権から引き継いだ「官邸主導」のあり方に求める。

 同じ官邸主導でも、現政権は首相のトップダウン度合いが前政権より大きい、と片山はみる。なぜなら前政権時の官邸内には、前首相周辺の「官邸官僚」をはじめ、当時内閣官房長官だった現首相ら複数の有力プレーヤーが並立していた。問題が起きた際にはある種の“神輿(みこし)”的な立ち位置である前首相の下、各プレーヤー間の適度な緊張関係の中でそれなりに軌道修正が図られていたのに対し、現在の官邸内では菅首相一人の存在が突出しているからだ。

 強い首相が自らさまざまな個別政策に身を乗り出して決定を下すトップダウン方式は、いざ政策の実行過程で不具合が生じた場合、軌道修正がトップの判断ミスを認めることに直結するため、臨機応変な対応が困難になりがちという脆弱(ぜいじゃく)性も抱えている。「とくにコロナのような非常時には“調整事項”があまりにも膨大に出てきて、とても一人では見切れません。無理にでも“すべて一人で見よう”とすれば平時ではあり得ないような“ボロ”が必ず出てきます」

 片山は戦前から日本政治が目指してきた「“トップダウンの権力構造”が理想に近いかたちでようやく実現したのに“実際にそれを担えるだけの力量の人間”がいない」とも指摘し、菅首相について「“カミソリのような切れ者”だったのではなかったのか、とこれまでの認識も裏切られました」と失望も示している。権力者は恐れられているうちはまだいいが、侮りを受けるようになると危うい。比較的保守的で高齢の読者層が多い同誌の巻頭にこうした論考が載ることは、内閣支持率の急落に通じる潮目の変化を表してもいるだろう。

 統治機構の機能不全という片山の問題意識と共通した論点を扱うのが、民主党政権で内閣官房副長官を務めた松井孝治(こうじ)の「『七人の侍』に学ぶ公務員人事制度改革論」(中央公論)。その現官邸に対する見立て自体は、「安倍首相が属人的信頼関係のきわめて厚い人材を官邸官僚・側近として官邸に置き、大官邸主義を志向したのに対し、菅首相はどちらかと言えば、各省の事務次官などに信頼する官僚を配置し、官邸そのものの機能拡大よりも自身と精鋭で各府省をグリップする路線に転じようとしているようにも見える」と、片山と大きく違わない。

 ただ、かつて旧通産省から内閣官房に出向して橋本行革に携わり、当時の「行政各部中心主義の極致と官邸の中空」による機能不全を目の当たりにした経験を持つ松井は、「官邸の求心力の向上によって内閣主導政治を実現することは二〇年来の悲願」であるとして、前政権で実現を見た「官邸主導」そのものについては高く評価する。とかく批判されがちな内閣人事局にしても、それは平成の政治改革が試行錯誤を重ねた末の貴重な制度的結実であるからだ。

 問題は、あくまで現在の運用にある。そうした認識の上で、現状では政治側から見た「使える人材」に偏重しがちな幹部公務員の評価に多角性を盛り込むことや、民間人登用を含めた人材採用の多様化、さらには中央政府と地方、そして民間が相互乗り入れする公共政策プラットフォームの整備など、現状を前提にさらに一歩を進めた「令和の統治機構改革」を構想する。

 今回の緊急事態宣言も、前回と同じく早期発令を求める民意に押されてなし崩しに決まった感がある。感染症対策では早めの対処が重要なのは論をまたないが、振幅激しいポピュリズムの波の合間でふらつく「官邸主導」というのは危うい形の政治でもある。歴史社会学者の筒井清忠の「コロナ禍でまたぞろ忍び寄る“日本型ポピュリズム”の影」(Wedge1月号)は、「日本では、欧州(世界)の大勢という外からの大きな力で作られたマスメディア・世論の同調圧力にはトップですら容易に抵抗できず、綱領も何もない大政翼賛会という『衛生組合のごときもの』を作らざるをえなかった」1930~40年代の歴史から、「日本ではいつも上からの強権的な圧力よりも下からの湧出する力の方が強い」という、現代にも通じる教訓を見いだす。

 かつての戦時体制と同様に、緊急事態宣言は法的な「上からの強制力」だけを見ると欧米のロックダウンと比べてかなり緩い措置ではあるが、実際に社会で展開されるポピュリズム的な「下からの同調圧力」は相当強烈なものがあり、「自粛警察」の流行語が示すような戦時中にも似た市民相互の監視や抑圧、少数派への不当な迫害も生み出す。かといって、上からの厳格な法制が国民に望まれているとも言えないところに厄介さがあり、抜本的解決策は見当たらないのだが、強すぎるポピュリズム的同調圧力という日本的システムの弊害を少しでも減じて多様性・多元性を確保するためには、ひとまず各人がそれぞれの所属集団の中で臆せず異見を述べることから始めるべきだと筒井は提言する。「我々自身が身近からそれを実行できずに同調圧力やポピュリズムを言説世界でいくら一般的に批判をしても意味がない」という言葉は、言論機関に属する者にとっても重く響く。(敬称略)

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