PR

【スポーツ茶論】「肌の色」、オコエ瑠偉選手の叫び 黒沢潤

PR

プロ野球ドラフトで楽天に1位指名され、ポーズを取るオコエ瑠偉選手=平成27年、東京・江戸川区の関東第一高校(山田俊介撮影)
プロ野球ドラフトで楽天に1位指名され、ポーズを取るオコエ瑠偉選手=平成27年、東京・江戸川区の関東第一高校(山田俊介撮影)

 米中西部ミネソタ州で白人警官が黒人男性を暴行死させ、世界各地で抗議デモが相次いでいる。アフリカ系の父、日本人の母を持つプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスのオコエ瑠偉(るい)選手(22)がこれを受け今月中旬、「肌の色」をめぐって経験したつらい過去をツイッターで明かした。その内容は、私たちに切実な問いを投げ掛けている。

 彼が周囲との“違い”を感じたのは5歳のころ、保育園の先生が「みにくいアヒルの子」の絵本を読んで聞かせたときだ。周りの園児からジロジロ見られて笑われ、「うつむき耳を塞(ふさ)いでた。物凄(ものすご)く孤独だった」という。

 彼は保育園である日、親の似顔絵を描く際、先生から顔は肌色で塗りましょう、といわれた。園内にあった肌用のクレヨンは橙(だいだい)色で、「反抗心からか涙ながら」茶色のクレヨンで顔を描いたという。その絵も園児から笑われ、「なんだろう、この時は毎日がつらすぎた。家のベランダから外を眺めながら、ここから飛び降りて生まれ変わって、普通の日本人になれるかなとか、考えてた」と振り返った。

■   ■

 つらい仕打ちは、その後も続く。少年野球時代、試合前の整列時に相手チームから黒人だ、外国人だといわれ、心にさらに深手を負った。高校時代も、大人たちから甲子園に黒人は出るな、など「心ない言葉」を投げ付けられた。

 「俺の中の心は無(な)いようなものだった」

 多感な少年時代、無節操かつ、無神経な言葉の数々を浴び続けたオコエ選手の心情は、察して余りある。

 そんな逆境に直面する一方で、彼は選手として着実に努力も積み重ねる。プロのスカウトからやがて、俊足・強肩の高校生として注目され、3年の夏の甲子園(2015年)では本塁打も放つなど大活躍。同年秋、楽天から1位指名され、現在は1軍レギュラーを目指し奮闘中だ。

 プロの選手となった今、彼は自身の“立ち位置”について、こう述べるのだ。「(耐え難き)経験があるからこそ、悔いないように生きようと思うし、良くも悪くも今となってはちょっとやそっとのことじゃ動じなくなった」

 絶望の淵(ふち)にありながら、自身の苦しみを昇華させ、自己形成していく姿には、多くの共感が寄せられている。彼のツイートには19万3千件超の「いいね」がついた。ネット上には激励の言葉が並ぶ。

 同時に、限りなく寄り添う優しさを見せているのが、彼の妹で、バスケットボールの富士通に所属するオコエ桃仁花(もにか)選手(21)だ。ツイッターで、「(兄の文章を)読んだ時(とき)涙が止まらなかった。私と兄で毎日涙目になりながら支えあってた日々。私は兄がいなかったら内気な女の子でバスケもやってなかったな。本当にここには書ききれない。兄の背中は偉大でした。私達(たち)を見守ってくれてありがとう神様」と、つづった。

■   ■

 人種的少数者の社会的地位向上を目指し、今、多くの市民が米国で激しいデモを繰り広げている。一方、日本でこうした人々への配慮は十分とは言い難い。ニューヨークで黒人男性との間に男児をなし、離婚した筆者の知人の邦人女性も、息子へのいじめを懸念し米国にとどまっている。肌の色、環境の違いで他者を判断することは恥ずべきだと思う。

 今回、日本で同じ境遇の人々の「励みになれば」と、つらい過去を率直に告白したオコエ選手の勇気を心からたたえたい。プロの野球人として、技術的にも精神的にもさらに成長することを願っている。

この記事を共有する

関連トピックス

おすすめ情報