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【主張】参院選と年金 魔法の杖など存在しない 未来担う世代へ目配り足りぬ

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 参院選公示後、最初の週末である。候補者が街頭に立ち、持論を展開する。「国家百年の計」を論じるのが政治家の仕事だ。高齢世代だけでなく、現役世代の心にも響くか。子や孫の時代に堪える主張か見極めなければいけない。

 夫婦で95歳まで生きるには「老後資金が2千万円不足する」とした金融庁の審議会報告書をきっかけに年金問題が争点となった。

 皮相に過ぎる言葉が飛び交ってはいないか。与党は報告書で持ち上がった不安の払拭(ふっしょく)に躍起だ。一方、野党は高齢期の生活費の話に終始している。

 ≪現実を説く勇気を示せ≫

 真に求められるのは、負担増や給付減に正面から向き合う議論である。それなくして、あらゆる世代に目配りした制度は作れない。持続可能な年金制度のために何が必要か。その点こそが論じられるべきだ。

 安倍晋三首相は、「負担を増やさず、年金給付を増やす打ち出の小づちはない」と語った。子供の数が減り、平均寿命は延びている。給付水準の引き下げが必要なことは冷静に考えれば誰でも分かることだ。厳しい現実を国民に説明し、理解を求める責任ある論戦を望みたい。

 各党は、「年金水準を維持する」「最低年金を保障する」として、高齢者に聞こえの良い政策に偏っている。むしろ重要なのは、現役世代の重荷にならないような制度の持続可能性である。

 立憲民主党と国民民主党は、年金不安を指摘し、生活対策として、医療、介護、障害福祉などに関する自己負担の合計額に上限を設ける「総合合算制度」の導入を公約した。立民は年金の最低保障機能強化もうたった。

 だが、その財源を本当に捻出できるのか。そこがはっきりしないと不安の解消には結びつかない。消費税を引き上げないと言うなら、なおさら説得力のある具体策を提示すべきである。

 国民の玉木雄一郎代表は、保険料の納付期間が短くても、最低月5千円(年額6万円)を上乗せして給付するとしている。未納期間が長くても手厚く給付する仕組みとすれば、納付意欲は保てまい。年金は保険制度であり、その哲学を損なう議論はおかしい。

 日本経済の状況や少子化、長寿化に応じて年金水準を引き下げる「マクロ経済スライド」への批判も出ている。現役世代の負担が際限なく増えないように15年前に導入された仕組みである。

 共産党は、この廃止を公約に掲げている。高所得者の保険料引き上げなどを財源に充てるというが、現実的だろうか。

 旧民主党政権下で、医療費の自己負担に上限を設ける「高額療養費制度」をめぐり、所得の比較的低い中間層の負担軽減を、高所得層の負担増で乗り切ろうとしたことがある。

 ≪制度の哲学を損ねるな≫

 けれども試算してみると、必要額に対して集められる額がケタ違いに小さく、成り立たなかった。恩恵を受ける層の裾野が広すぎるのだ。負担軽減は結局、消費税の引き上げで実現した。年金についても同じような話ではないか。

 立民の枝野幸男代表は、共産の案も含めて国民的議論をするという。枝野氏が官房長官など要職を務めた旧民主党政権は、マクロ経済スライドを維持していた。考えがいつ変わったのか、変わらないのかよく分からない。

 野党は1人区で候補者を一本化する共闘をしている。重要政策である年金の議論を深めぬまま、政策の整合性を取り繕っているのではないのか。

 与党は消費税引き上げ時に、低所得の年金受給者に、税財源により最大月5千円(年額6万円)の生活者支援給付金を出すとしている。国民の案とは異なり、加入期間が長いほど支給が増える。

 魔法のように財源がわき出る妙策はない。年金は高齢者の暮らしを全て賄う制度設計をしていない。国民の側にも自助努力は求められる。ところが、安倍政権は野党の批判を恐れて、自助の必要性を説いた報告書を受け取らなかった。「100年安心」という言葉を独り歩きさせてきた点も反省すべきだ。

 だが、もはや逃げることは許されない。与党も野党も自助の議論を深めるべきである。それなくして、年金制度を若い世代に引き継げないことを説いてほしい。

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