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【葛城奈海の直球&曲球】“平和ボケ”の呪縛 新たな時代に解き放て

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 北方領土のビザなし交流で、元島民の団長に対し「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」などと問い詰めた丸山穂高衆院議員の発言が物議を醸した。「戦争は、善か悪か」と問われれば、多くの人が「悪だ」と答えるであろうし、同議員の「酒を飲んでいた」などという言い訳も見苦しい。

 これらを踏まえた上で一連の騒動に私は違和感を覚えた。特にテレビの番組などで見受けられた「短絡的で無思考一辺倒」な論調にである。

 言うまでもなく、戦争など好んでするものではない。しかし現実を見れば、世界中で戦争は続いている。

 たとえば、相手が武力をもってわが国へ侵攻してきた場合、戦わなければどうなるのか。子供でも理解しているであろう現実を知ってか知らずか、有識者らが訳知り顔で「とにかく戦争をしないことこそが正義」であるかのように語る姿に私は、違和感を覚えたのである。それこそが、戦後70年あまりの“平和ボケ”そのものではないのか。

 そんな人たちは、日本の平和と独立を守るために存在する自衛隊など、そもそも不要とでもいうのだろうか。

 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、自分たちの支配を正当化するため、WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、つまり「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」と呼ばれるしたたかな洗脳工作を行った。焚書(ふんしょ)と検閲によって徹底的に水面下で行われた心理作戦の浸透力はすさまじく、メディアはその影響に色濃く支配された。日本人は“去勢”され「戦って国土や国民を守ること」さえ、「悪」という価値観が蔓延(まんえん)するに至った。それが、戦後体制だ。

 外交交渉の基本は、「片手に棒を携え、穏やかに話す」こと。武力の裏付けのない交渉は、相手国になめられてしまう。顕著な犠牲者が、拉致被害者であろう。暴力で奪われた自国民を取り戻すのに「力」を示す覚悟も私は必要ではないかと思う。

 “平和ボケ”の呪縛から、令和の時代にこそ解き放たれなければなるまい。

【プロフィル】葛城奈海(かつらぎ・なみ) やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長。著書(共著)に『大東亜戦争 失われた真実』(ハート出版)。

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