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【主張】裁判員制度10年 国民感覚が司法を変えた 強制起訴の抜本的見直しを

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 刑事裁判に国民感覚を反映させる裁判員制度が施行され、21日で10年となる。同時に導入された検察審査会の強制起訴制度とともに「国民の司法参加」を目指した司法制度改革の柱である。

 有権者から無作為に抽選で選ばれた裁判員と、裁判官が共同で審理する制度だ。原則6人の裁判員と3人の裁判官が審理にあたり、被告が有罪か無罪か、有罪の場合は量刑も判断する。

 ≪性犯罪に強い処罰意識≫

 対象となるのは最高刑が死刑か無期懲役・禁錮に当たる罪と故意の犯罪行為で被害者を死亡させた罪で、当初は重大犯罪を一般の国民が裁くことを不安視する見方もあった。辞退率の増加や出席率の低下、裁判の長期化による裁判員の負担増など課題は多い。それでも制度開始からの10年はおおむね順調に推移し、十分な成果を挙げたと評価すべきだろう。

 これを支えたのは、勤勉でまじめな国民性である。これまでに9万人を超える国民が裁判員や補充裁判員を務めてきた。

 最大の成果は、量刑の変化である。最高裁の総括報告書によれば裁判官のみの裁判よりも裁判員裁判で、性犯罪の強姦(ごうかん)致死傷と強制性交致死傷で重い量刑が選択される傾向が顕著だった。国民は性犯罪に厳しい。魂の殺人とも称される卑劣な犯行を許さない。そうした健全な処罰意識の発露である。

 裁判員裁判の量刑判断に後押しされるように、刑法が改正され、性犯罪の法定刑の下限が引き上げられた。法定刑の設定は国の意思を示す。国は性犯罪に厳しく対処する。裁判員が国と司法を動かしたといえるだろう。

 殺人でも量刑が重くなる傾向があり、裁判員らは死刑判決もいとわなかった。制度開始時には一般国民が死刑を選択できるか疑問視する意見もあった。だが裁判員は真摯(しんし)に事件と向き合い、悩んだ末に多くの裁判で死刑判決を選択した。死刑制度の存続議論にも大いに参考にすべき結果である。

 問題は、裁判員裁判による5件の死刑判決が上級審により破棄されたことだ。破棄の理由はさまざまだが、代表例は過去の判例との乖離(かいり)である。千葉県松戸市で千葉大の女子学生が殺害された事件で千葉地裁の裁判員裁判は死刑判決を選択したが、東京高裁は「殺害された被害者が1人で、計画性がない場合には死刑は選択されないという先例の傾向がある」として無期懲役に減刑した。

 国民の司法参加に求めたのは、その日常感覚を判決に反映させることで、そこには「先例の傾向」が国民の常識からかけ離れているとの反省がこめられていたはずである。量刑を過去の傾向に求めるなら人工知能に任せればいい。行き過ぎた先例重視は制度の趣旨を揺らがせる。

 ≪二重基準を放置するな≫

 むしろ先例との乖離が著しく、法の下の平等を損なっているのは検察審査会による強制起訴制度である。有権者から抽選で選ばれた審査員11人が検察官が不起訴とした事件を審査し、8人以上の判断で「起訴相当」を議決し、検察が再捜査でも起訴しない場合は2度目の検審で起訴議決されれば指定弁護士が強制的に起訴する。

 これまで9件13人が強制起訴され8件10人の判決が確定したが、有罪は2件2人のみである。

 検察官による起訴が99%以上の有罪を見込むのに対し、検審は起訴議決で「検察官が起訴を躊躇(ちゅうちょ)した場合、いわば国民の責任において刑事裁判の法廷で黒白をつける制度である」とうたう。いわば5割の有罪見込みで起訴するもので、検察官による起訴とはハードルの高さが大きく異なる。

 乗客106人が死亡した福知山線脱線事故でJR西日本の歴代3社長に対する検審の「起訴相当」議決に神戸地検は「審査会は事実を誤認している可能性がある」と異例のクレームをつけた。それでも2度目の検審で強制起訴となったが、無罪が確定した。

 裁判員裁判は裁判員6人と裁判官3人という絶妙なバランスで評議に当たるが、検審の11人は全て一般国民である。純然たる法的判断より被害感情や応報の観念が優先される傾向がある。

 裁判員制度に導入3年後の見直し規定があったのに対し、強制起訴制度が見直されたことはない。審査員の構成や罪種、不起訴処分内容の絞り込みなど、検討課題は山積している。

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