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【令和のはじめに】新時代にふさわしい国家戦略を 論説委員長・乾正人

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衆院本会議(春名中撮影)
衆院本会議(春名中撮影)

 退位礼正殿の儀が、これほど胸に迫るとは思わなかった。

 「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」との、天皇として最後のお言葉に落涙した。日が変わって、「令和」の時代が静かに始まった。

 「即位の日」を中心とした空前絶後の10連休をどう過ごせばいいのだろうか。私同様困惑したご同輩も多かったと推察するが、去りゆく平成と新たに始まる令和に思いをはせるよい機会となった。

 それにしても「平成」は、あっという間に過ぎ去った、というのが偽らざる実感である。

敗北責任は昭和世代に

 今年の元日、平成を衰退の時代としてとらえた「さらば、『敗北』の時代よ」という拙文を書いたが、予想外の反響をいただいた。種を明かせば、経済同友会代表幹事を務めておられた小林喜光氏とのやりとりをヒントにした論考だったのだが、賛否両論に加えて、20代の若者から、「平成が敗北の時代なら責任は『昭和世代』にある」といった声も寄せられた。

 もっともである。衰退の責任は、私を含めた「昭和世代」にある。平成の御代、東日本大震災や阪神大震災といった大災害が日本を襲ったが、戦争に巻き込まれることもなく、リーマン・ショック後の不況も何とか乗り切った。

 それでも現実は厳しい。

 平成の初頭、日本経済は絶好調で、世界全体のGDP(国内総生産)の実に15%を占めた。しかし、平成の終わりには6%と大幅に下落し、30年前には影も形もなかった中国にも大きく水をあけられた。花形だった電機産業は、次々と外資の軍門に下り、「日の丸液晶」再生も失敗した。

 少子高齢化はますます進み、令和20年頃には、65歳以上の人口が全体の4割近くに達し、現役世代1・5人で老人1人を支えるという超高齢化社会に突入する。

 それもこれも危機が到来するのが分かっていながら、目先の利益や生活に追われ、携帯やスマホをいじって「ボーッと生きてきた」ツケがまわってきたのである。ことに国のかじ取り役である政治家の劣化は、はなはだしい。

 政財界を直撃したリクルート事件の反省から「政治改革」が唱えられ、衆院に小選挙区・比例代表並立制が導入された。政治資金規正法も改正され、「政治とカネ」もかなりクリーンになった。

 だが、しかし…。

 安倍長期政権によって、毎年、首相がネコの目のように代わっていたころよりは、格段に政治は安定してきたが、立法府であるはずの国会の中身のなさには目を覆いたくなる。野党は小さなスキャンダルを追及するのに汲々(きゅうきゅう)とし、与党は与党で、忖度(そんたく)か追従まがいの質問しかしない。

 少子高齢化ばかりでなく、財政や安全保障、AI(人工知能)がもたらす社会変革といった国の根幹に関わるつっこんだ論議を国会の場で最近、ほとんど聞いたことがない。いわんや国家戦略なぞとりあげられもしない。

 「平成の敗北」から学ぶべき第一は、国家戦略の欠如である。

 トランプ米大統領が「米国第一」という国家戦略を発表したとき、識者と称する人々は鼻で笑っていたが、トランプ政権下の政策は「米国第一」主義で貫かれ、それなりの成果を出している。

国会で大議論始めよう

 中華帝国主義を隠そうともしない「一帯一路」政策も、習近平国家主席が打ち出した「中国の夢」と称する戦略に忠実な政策である。

 平成だけでなく、昭和を含め戦後日本に国家戦略と呼べるようなものは、なかった、といっても過言ではない。あったとすれば、敗戦による連合国軍総司令部(GHQ)の占領下で窮余の策として編み出された吉田茂政権下での、いわゆる「吉田ドクトリン」のみである。

 これは、軍事力を全面的に米国に依存し、経済復興と生活向上を第一にする、という占領下という厳しい制約下での代物であり、本来は独立回復を機に憲法とともに修正すべきものであった。

 ご存じの通り、憲法改正は一度も行われず、「吉田ドクトリン」の亡霊は戦後70年以上を経た今も生き続けている。

 経済大国に成り上がりながら、冷戦終結と歩調をあわせるようにあっけなくバブルが崩壊したのも、「吉田ドクトリン」に代わる新たな国家戦略を構築できなかったことと無縁ではない。

 令和の御代で真っ先に取り組まねばならないのは、新時代にふさわしい国家戦略の構築である。

 かつてない少子高齢化時代や厳しい国際情勢をどう乗り切ればいいのか。国家の根本に立ち返った国民的大議論を国会から巻き起こしてほしい、というのは「令和の夢」にすぎぬのだろうか。

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