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陛下、ありがとうございました 産経新聞社会長・熊坂隆光

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東日本大震災の発生を受け、ビデオメッセージで国民に語り掛けられる天皇陛下=平成23年3月16日、皇居・御所応接室(宮内庁提供)
東日本大震災の発生を受け、ビデオメッセージで国民に語り掛けられる天皇陛下=平成23年3月16日、皇居・御所応接室(宮内庁提供)

 平成の御代はきょう限りとなる。国民こぞって皇太子殿下のご即位を寿(ことほ)ぐ明日を前に、譲位される今上(きんじょう)陛下に言上(ごんじょう)したい。

 「天皇陛下、どうもありがとうございました」

 日本に生まれ、暮らす民の一人として、大きな声でそう申し上げたい思いでいっぱいである。

 陛下は、昭和天皇の後を継ぎ55歳で皇位に即(つ)かれた。85歳になられた今まで、全身全霊でお務めを果たしてこられた。

 「天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」

 ≪果てしない道歩まれた≫

 今年2月の御在位三十年記念式典におけるお言葉である。陛下は、象徴としての天皇像を模索されてきた道について、「果てしなく遠く」とおっしゃった。

 求道者にも似た陛下を天皇に戴(いただ)いた幸せを、語り継いでいきたいと思う。

 立憲君主として、憲法に定められた国事行為や、外国とのご交際に熱心に取り組まれてきた。

 陛下はご信念、お考えに基づき能動的に動かれてきた。国民に寄り添っていかれるためであったと拝察する。

 阪神大震災、東日本大震災はじめ平成の御代には大きな自然災害が襲ってきた。東日本大震災で日本が大混乱していたさなか、陛下はビデオメッセージで被災者や救援に当たる人々をはじめ国民を励ましてくださった。この「平成の玉音(ぎょくおん)放送」で、どれだけ多くの人々が生きる力を頂いたか。

 陛下は皇后陛下とご一緒に、多くの被災地を訪ねられた。避難所で、膝をつかれて人々と話される両陛下を思い出す。このお姿に政治家たちも感化され、見習うようになった。

 陛下が寄り添われたのは、現代に生きる国民だけではない。

 終戦時に学習院初等科6年だった陛下は、昭和天皇のお心を受け継ぎ、戦没者の追悼にあたられた。全国戦没者追悼式へのご臨席はもとより、内外の激戦地に赴かれた。慰霊の旅である。

 昨年12月のお誕生日に先立つ記者会見で陛下は、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と述べられた。

 平和を常に願われた陛下に、次の御製(ぎょせい)がある。

 《精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき》

 平成6年2月に玉砕の島、硫黄島を訪問されたことを詠まれたものだ。正論執筆陣の江崎道朗さんの近著『天皇家百五十年の戦い』で知った。

 戦没者を、気の毒な犠牲者という文脈でのみとらえる人が多いのが戦後日本である。

 しかし、それでは本当に寄り添うことにはならない。硫黄島はじめ各地で散った英霊は、祖国のため勇敢に戦って命を捧(ささ)げた民である。御製から分かるように、それを陛下は見事に受け止めてくださった。

 陛下の「慰霊の旅」で行幸がなかったのは靖国神社であり、シベリアや旧満州などである。いずれも政治的な理由がある。靖国神社は日本の国と英霊の約束の場所であるのに、首相すら参拝を控えてしまっている。

 靖国へ勅使を遣わされてきたが、ご親拝(しんぱい)はかなわなかった。陛下を支える側の力不足を、陛下と英霊におわびするほかない。

 ≪ご長寿こそ国民の願い≫

 長い歴史のいつの時代でも日本の首座にいて秩序の中心であることと、祈り主である点が、天皇の本質的な役割といえる。

 「国平らかに民やすかれ」と祈ってくださる大切な存在であるからこそ、天皇は憲法第1条で日本国と国民統合の象徴と位置付けられている。

 天皇の祈りの中心は宮中の祭祀(さいし)である。周囲に簡略化しようとする動きがあったが、陛下は昭和天皇をはじめとする歴代の天皇にならって、宮中のお祭りを重視してこられた。

 陛下は皇太子時代も含め、日本の国と国民のため何事にも真摯(しんし)に取り組まれてきた。

 東洋の伝統に則(のっと)って申し上げれば、いくら賛仰してもしきれないほどの徳を積まれてきた君主であられた。

 陛下はあす上皇になられる。どうか上皇后さまとご一緒に、末永くゆっくりとした日々を過ごされますよう。そして時には元気なお姿を拝したい。それが国民の願いである。

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