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【葛城奈海の直球&曲球】勝手に作動するトイレで失態続き…「行き過ぎた自動化」は見直されるべきだ

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勝手に作動するトイレで失態続き…「行き過ぎた自動化」は見直されるべきだ

葛城奈海の直球&曲球更新

 最近宿泊した、地方都市のホテルでのこと。洗面所で鏡に顔を近づけると、トイレの水が勝手に流れてしまう。よく見たら、洗面台手前にある「流水ボタン」に腿(もも)が触れて反応している。以後、気を付けたつもりなのだが、予想を上回る感度の良さで何度も失態を繰り返した。近視のため裸眼では鏡に接近しないと見えないという個人的事情はあるにせよ、これは設計を誤っていると思った。私のように意図せず水を流してしまう人が、相当いるに違いない。

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 同様に、駅などのトイレで洗面台にうっかり物を落とし、拾おうとしたら自動的に水が出てきて、落とした物やら袖やらを濡(ぬ)らしてしまった経験のある人も多いだろう。この種の自動化が進み過ぎるのは、いかがなものか。

 日本人にとって、長く「水と安全はタダ」だった。が、地球規模での人口爆発を経て、世界では水をめぐる戦争さえ起きるといわれている。この夏もダムの水位が下がり節水が呼びかけられたが、水のありがたみを痛感するのは、やはり断水時だろう。蛇口を捻(ひね)れば当たり前のように出ていた水が出なくなる。飲料水はもちろん、トイレや風呂の水が出なければ快適な暮らしは望めない。

 私は、しばしば山へ出かけるが、冬季に凍結防止のために水道管が外された山小屋や、夏場の縦走中に次の水場までの距離を考えながら水分調整をしていたのに、いざたどり着いてみたら水が枯れていたなどというときに、不衛生感や渇きとともに水のありがたさを痛感してきた。

 災害に備えるという意味でも子供たちにもペットボトル1本の水で1日過ごすなどの体験をさせてみるとよいであろう。

 大地を潤し、命を育み、浄化する水。かつてノーベル平和賞を受賞した環境活動家ワンガリ・マータイさんが感動し、日本語のままで世界に広めた「MOTTAINAI」精神を、大量生産・大量消費を豊かさと履き違えた日本人自身が忘れている。単に「水道代を無駄にするから」という損得勘定ではなく、「足るを知る」成熟社会を目指すという意味でも、「行き過ぎた自動化」は見直されるべきではないだろうか。

                   

【プロフィル】葛城奈海

 かつらぎ・なみ やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、キャスター、俳優。昭和45年東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長、林政審議会委員。著書(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)。

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