産経ニュース for mobile

【「文化」の五輪 東京からTOKYOへ(2)】芸術も“種目” 歌舞伎がKABUKIになった夜

記事詳細

芸術も“種目” 歌舞伎がKABUKIになった夜

「文化」の五輪 東京からTOKYOへ(2)更新

 昭和39(1964)年10月、東京五輪の期間中、夜遅い歌舞伎座(東京都)の舞台で、まだ30代で中村扇雀を名乗っていた坂田藤十郎(84)は四代目中村雀右衛門とともに女形の変化舞踊「手習子」を披露していた。

<< 下に続く >>

 「前の東京五輪では歌舞伎を通じ、日本の素晴らしい文化を世界に知っていただきたい、という思いが強うございました」。名実ともに現在、歌舞伎界の頂点に立つ人間国宝で、世界文化賞受賞者の藤十郎が振り返る。

 歌舞伎と文楽による第1部の開演は午後9時40分。「五輪芸術展示」の一環として通常の歌舞伎公演終了後、行われた外国人向けの特別興行「ナイト・カブキ」だった。競技観戦後、短時間で日本文化の粋に触れられる-をうたい文句にした2部構成で、第2部の赤坂芸妓連中による「日本の踊り・舞妓(まいこ)」の開演は午後11時40分だった。

 「外国がずっと遠かった時代、まだ歌舞伎は珍しい日本の文化。外国人に受け入れていただけるか、実は心配しました」と藤十郎は言う。

 しかし杞憂(きゆう)に終わった。月刊誌「演劇界」(昭和39年11月号)はナイト・カブキについて、「(東京五輪の開会式が行われた10月10日の)開演1時間ほど前に歌舞伎座へ行くと、切符売場に相当な列を組んでいるのを見て、これはと驚きました」とリポートしている。

 ナイト・カブキの客席は外国人が大半で、藤十郎は「日本にいながら海外公演をしている気持ちになった」。藤十郎の楽屋にも終演後、サインを求める外国人旅行者や選手らが連日、押し寄せた。「特にヨーロッパの方は『日本の女形とはどういうものか』と興味深くごらんになってくださった。うれしかったですね」と相好を崩す。

 ここでの手応えが五輪後、歌舞伎の海外公演を勢いづかせた。藤十郎も自ら主宰する「近松座」などで、英米はじめソ連、中韓などでも公演を続けた。

 「今は歌舞伎座に外国人のお客さまがいらっしゃるのが普通になりました。東京五輪は日本の『歌舞伎』が世界の『KABUKI』になる、大きなきっかけだったことは間違いありません」

                ○○○○○

 五輪はスポーツの祭典と思われがちだが、五輪憲章は「スポーツと文化と教育の融合」を掲げ、大会期間中に複数の文化イベントを計画するよう定めている。

 1912年のストックホルムから、48年のロンドンまで計7回の五輪では、建築・彫刻・絵画・文学・音楽の5部門が“競技”として実施されたほどだ。客観的な採点の難しさから、52年のヘルシンキからは正式競技から公式の芸術展示に形を変える。