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【野口健の直球&曲球】民主党政権は台湾からの救助の声を閉ざしていた

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民主党政権は台湾からの救助の声を閉ざしていた

野口健の直球&曲球更新

 東日本大震災から5年。発生時、僕は羽田空港にいた。空がなんとも形容しがたい色をしていた。一面に広がる分厚いグレーの天から降りてくるような不気味な空だった。震災から約1週間後、がれきに埋まる岩手県陸前高田市の市街地に立っていた。落ちていたアルバムやお人形がなんとも生々しかった。

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 寝袋を届けようと避難所を回っていたが、驚いたのは「ここも大変だけれどあっちの避難所も布団が足りていないのです。あちらの分もとっておいて」という避難されている方々の言葉だった。海外の震災などで救援物資を奪い合うニュースを何度か見てきただけに、極限状況下にもかかわらず「譲り合いの精神」に涙が流れた。

 宮城県気仙沼市での光景も忘れない。夕暮れ時、避難所の駐車場にいた。停電で辺り一面は真っ暗闇。10台ほどの消防車が列を組んで前を通過しようとしていたとき、僕の横を1人の小学生が消防車の方に向かって走っていく。「危ないよ!」と声をかけようとしたその時。彼は背筋をピンと伸ばし、消防車に向かって敬礼を始めたのだ。

 全国各地から駆けつけた消防士に対し、彼は最大限の敬意を表現していたのだ。美しい後ろ姿に声も出なかった。「早くしろ! モタモタしていると(消防隊員たちを)処分するぞ!」と現場の状況を把握しないまま自身は安全な場所に身をおきながら叫んでいた大臣(当時)に少年の後ろ姿を見てほしかった。

 許せないこともあった。震災発生直後、台湾の李登輝元総統によれば、日本の交流協会台北事務所(台湾における日本の事実上の大使館)に対し、救助隊を被災地に派遣すべく交渉したが、日本政府からは「救助隊の要請はもっと先になります」との返答。しかしアメリカ、韓国の救助隊はその前に到着していたのだ。

 72時間たつと生存の確率は急激に減る。被災地で人々が生き延びようと必死になっていたその時、民主党政権は国民の命よりも中国政府を意識しすぎたあまり、台湾からの救助の声を閉ざしていたのだ。あれから5年。今一度振り返る必要があるだろう。

【プロフィル】野口健 のぐち・けん アルピニスト。1973年、米ボストン生まれ。亜細亜大卒。25歳で7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成(当時)。エベレスト・富士山の清掃登山、地球温暖化問題、戦没者遺骨収集など、幅広いジャンルで活躍。新写真集に『ヒマラヤに捧ぐ』(集英社インターナショナル)。