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【土佐防災日記~東北から移住して】(10)「東北の教訓生かしたい」四万十町防災職員、中野未歩

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1月17日に開催された防災教育フォーラムでメッセージを伝える中野未歩さん(左画面)=大阪市
1月17日に開催された防災教育フォーラムでメッセージを伝える中野未歩さん(左画面)=大阪市

 阪神大震災26年を迎えた1月17日、大阪市内で開催された防災教育のイベントで、10年前の東日本大震災の出来事や、現在防災担当としてどのような取り組みに力を入れているのかを話させてもらった。

 高校2年生の時に体験した東日本大震災で強く感じたことは「後悔」であった。大震災の前に「宮城県沖地震が99%の確率で発生する」といわれていたのにもかかわらず、何も備えていなかった。

 避難所を知らず、とにかく不安だった。また懐中電灯がなく、夜は何をするにも不便だった。大震災直後に手軽な食べ物があれば空腹をしのいだり、不安も和らいだと思う。救援物資を調達する際、ガソリン不足で車が使用できず、自転車があればと思う。断水中、給水用ポリタンクがあればと思う。

 私はバスの車内で地震に遭遇したが、それは偶然にすぎなかった。大震災の5日後、避難先から戻り、家の中で転倒した家具の状態を見た際、あの日あの時、家の中にいたらどうなっていたかと思うと、今でもぞっとする。

 もっとふだんから用意しておけばよかったと、心の底から思った。日常の中で、どれだけ想像を働かせ、できることをやれるのかということが「自助」なのだと思う。

 そして大震災から10年がたとうとしている今、立場が変わり、現在は町役場の防災担当として勤務している。担当業務の中で特に力を入れているのは高齢者など要配慮者対策だ。以前本欄で紹介させていただいたが、この取り組みを通じて強く感じていることは、地域防災の「最後のとりでは地域住民」だということだ。まさに共助である。

 町役場で公助という立場にいるからこそ、公助の限界というものは念頭においている。だからこそ、有事の際、住民の力だけで自分たちの命が助かる仕組みや体制を今からつくっていかなければならない。

 だからこそ、住民との協力関係の中で日々を協議し、訓練などの活動を協働で行うことを心掛けている。みんな助かってほしい。共助を後押しするのも公助の仕事。そのための知恵出しや、裏支えは続けてやっていきたい。10年前の「後悔」はもうしたくないのだ。

 (町職員 中野未歩)

     ◇ 

 なかの・みほ 平成5年宮城県石巻市生まれ。23年東日本大震災で被災。関西学院大卒後、京都大防災研究所(修士課程)。31年四万十町役場職員。

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