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北海道地震から1年「かつての暮らしが遠ざかっていく」

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2018年9月6日(上)と今年8月26日に撮影した北海道厚真町吉野地区の土砂崩れ現場。未だに土砂の一部が残っている
2018年9月6日(上)と今年8月26日に撮影した北海道厚真町吉野地区の土砂崩れ現場。未だに土砂の一部が残っている

 最大震度7を観測し、災害関連死を含め44人が死亡した北海道胆振(いぶり)東部地震は6日、発生から1年を迎える。土砂崩れなどで37人が犠牲になった北海道厚真(あつま)町では今も山肌が露出し、激しい揺れの爪痕が残る。厚真や隣接の安平、むかわの3町では400人余りが仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。

 厚真町の山田テル子さん(87)は自宅が全壊判定を受け、役場近くの仮設住宅に入居した。自宅は夫を亡くした5年後の昭和51年、クリーニング店の仕事でつくった貯金をほぼ全額使って建て、40年以上住んだ思い出の住まい。離れるのは寂しかったが「今の生活にもだいぶ慣れた。狭くて不自由だけど、ぜいたくは言えない」と話す。

 だが、近所付き合いはなくなり、「新しい知り合いもできない。こっちに来てから物忘れがひどくなってきた」と表情を曇らせた。町が建設予定の被災者向け公営住宅への入居手続きも進めており、「1年後にはまた引っ越さなきゃいけない。年齢も年齢だし、健康で居続けられるか心配だ」と漏らす。

 同町北部の山間にある幌内(ほろない)地区の立浪清作さん(91)は、住民が離れていくことに寂しさを感じている。地区を土砂が襲い、昔からの知り合い4人が犠牲になった。幸い自らの家は被災を免れたが、台所の窓からは今もむき出しの山肌が見える。

 かつて自宅で簡易郵便局を開いていた立浪さんと、妻のミヨさん(90)にとって、地区の住民は「きょうだいのような間柄」だ。だが、親類らが仮設住宅に移り住むなどして地区を出ている。このまま戻ってこなければ、過疎化に一層拍車がかかる。

 立浪さんは「若者がいなくなれば盆踊りもできなくなる。地震から1年が経過するが、かつての暮らしが遠ざかっていくような気がする」と話した。

住民の心のケアも課題

 最大震度6強を観測した被災地、むかわ町ではボランティアらによる全約4千戸の訪問が続く。「揺れを感じる」「眠れない」など不安を抱える住民が少なくなく、住民の心のケアも課題になっている。

 「半壊の罹災証明をもらった。困っていることはない」。食品店を営む70代の男性は3人一組で訪れたボランティアにこう答えた。ただ、店内の冷蔵庫周辺の床は沈むなど、地震から1年を迎えようとしても修繕は終わっていない。建物の状況を聞き取る3人に、男性は思わず「また地震が来たら嫌だ」と漏らした。

 町が今年3~6月に旧穂別町地区約1500戸を訪問し、1020戸の住民と面会したところ、音や揺れへの不安反応といった心の問題が報告されたケースが50件あった。現在は旧鵡川(むかわ)町地区約2500戸を回っている。

 町主幹で保健師の今井喜代子さんは「この時期はまだ不安が残るもの。東日本大震災では2年後の自殺も起きている。解決できる手助けができれば」と話している。

北海道胆振東部地震 平成30年9月6日午前3時8分ごろ、北海道胆振地方中東部を震源に発生したマグニチュード6・7の地震。厚真町で最大震度7を観測、大規模な土砂崩れや家屋の倒壊が起きて震災関連死を含めて44人が死亡した。道内全域にわたる大規模停電(ブラックアウト)が発生。北海道の空の玄関口・新千歳空港は天井が落下するなどの被害が出て一時営業不能となり、北海道新幹線が一時運転を停止するなどし、行き場を失った外国人観光客らの混乱もみられた。札幌市内では液状化の被害も確認された。

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