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【復活への針路~関空被災1年】(上)浸水から1年 無策は解消されたか

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高潮により滑走路や施設が浸水した関西国際空港=平成30年9月4日、大阪府泉佐野市
高潮により滑走路や施設が浸水した関西国際空港=平成30年9月4日、大阪府泉佐野市
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 「家族旅行は返上だな」。8月9日、関西国際空港を運営する関西エアポートの山谷佳之社長は、天気図をにらみ、つぶやいた。大型で非常に強い台風10号が、小笠原諸島近海で停滞。このときは東か西に大きくそれる可能性があり、関空にどこまで接近するかはまだ不透明だった。それでも早々と休日出勤を決めたのは、痛恨の記憶があったからだ。

 昨年9月4日の台風21号。関空は1期島の滑走路やターミナルが浸水し、停電が発生した。それだけでなく、風にあおられたタンカーが連絡橋に衝突し、約8千人が孤立。関西エアは滑走路の再開と利用客の脱出という2つの難題を、同時並行で解決する必要に迫られた。

 だが当日、司令塔の山谷社長は不在だった。東京に出張していたのだ。関空に戻ってきたのは翌朝。台風が近畿を直撃するという予報を軽視していたとして批判を浴び、「関西エアは素人集団」といった揶揄(やゆ)まで聞かれるようになった。

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 海上空港の関空は、平成6年の開業当初から「水が入ると大変なことになる」とささやかれていた。

 開業前を含む29年間、関空にかかわってきた関西エアの石川浩司執行役員(運用担当)は「もし海水が護岸を越えて地下に流れ込めば、電源がやられることは分かっていた」と明かす。

 にもかかわらず、なぜ電気設備を上階に移さなかったのか。

 「護岸の高さは十分」。関西エアが28年4月の運営権譲渡に伴って新関西国際空港会社から引き継いだ事業継続計画(BCP)は、台風での浸水を想定していなかった。そもそも地震と津波による被害想定で、台風の想定は抜け落ちていた。津波で仙台空港が浸水した東日本大震災後も、その教訓を生かさず「重い電気設備は地下に設置する」という一般的な建築設計の思想から脱却できなかった。

関西エアポートの山谷佳之社長=令和元年8月28日、関西国際空港
関西エアポートの山谷佳之社長=令和元年8月28日、関西国際空港
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 国土交通省空港技術課の担当者は、台風21号で露呈した関空の無策ぶりにこうあきれたという。

 「昔の気象条件でデータをとり、設備を整えていただけ。それでは巨大化する最近の台風に対応できないのは明らかだった」

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 関西エアは今年5月、1期島の護岸を最大2・7メートルかさ上げする工事を始めた。電気設備の地上化を含む総事業費は約541億円。このうち国が270億円まで負担する。

 だが、すべての災害対策が完了するのは、早くて3年後。最も緊急性が高いとして始まったはずのこの工事でさえ、今年の台風シーズンに間に合っていない。来年も難しいのが現状だ。そのためハード面では限界のある防災対策を、ソフト面でカバーしなければならない。

 その背骨となるのが、今年4月に策定された新たなBCPだ。新BCPでは停電や連絡橋の通行不可、滑走路の閉鎖など18項目の機能喪失ごとに対応を明確化。24時間以内の機能回復を目指している。

 今年8月の台風10号は、新BCPにとって初の試金石となった。山谷社長は近畿最接近が予想された前日の14日、新BCPに基づいて総合対策本部の設置を決定。15日午前から、航空会社や行政など約30機関の代表者と情報交換した。

台風21号の影響で高潮被害を受けた関西国際空港の滑走路=平成30年9月5日午前6時32分(本社ヘリから、安元雄太撮影)
台風21号の影響で高潮被害を受けた関西国際空港の滑走路=平成30年9月5日午前6時32分(本社ヘリから、安元雄太撮影)
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 「寝袋と水を配ります」。欠航が相次いだ15日午後9時半、情報提供を一元的に行う「エリアオペレーションセンター」のカウンターで、社員らが放送や口頭で呼びかけた。翌朝の便を待つためベンチや床に泊まり込む利用客らは、ほっとした表情を見せ、整然と列を作った。不満と混乱を招いた21号のときとは雲泥の差だった。

 限られた人員での運営や計画の実効性など課題はある。ただ、空港にかかわる関係機関が一体となった、災害に強い空港づくりは大きな武器になりえる。陣頭指揮を執った山谷社長は「新BCPの訓練を重ねれば、関空は日本の空港のモデルになれる」と話した。

 関空が台風21号で被害を受けてから4日で1年。開業25周年の節目の日にも当たる。関空の行方を探る。

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