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豪雨救助の県警駐在員に感銘 記者辞め警察官に転身「地域の役に」

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現在は和歌山県警御坊署の地域課に勤務する玉置昌宏さん=和歌山県御坊市
現在は和歌山県警御坊署の地域課に勤務する玉置昌宏さん=和歌山県御坊市

 和歌山、奈良、三重の3県で計88人の死者・行方不明者を出した平成23年9月の紀伊半島豪雨から8年。当時、和歌山県新宮市の地元紙記者で、自身も被災した玉置昌宏さん(36)は被災地取材での出会いを通じ、「地域の役に立ちたい」と警察官に転身した。現在は同県御坊市の県警御坊署地域課の署員として、地域の安全を見守っている。

 ■1週間孤立

 濁流に流されて跡形もなくなった喫茶店、電線に引っかかった軽トラック…。紀伊半島豪雨で被災した新宮市で、地元紙「熊野新聞」の駆け出し記者だった玉置さんは、変わり果てた市の惨状を取材。胸を痛めながらカメラのシャッターを切り続けた。

 自身も被災していた。山奥の集落にある自宅は、建物こそ無事だったが、車は水没。市中心部まで続く自宅近くの国道168号も冠水した。携帯電話もインターネットもつながらず、集落は約1週間、孤立状態が続いた。親族の協力で何とか市中心部にたどり着き、携帯電話の電波が入ると、「生きていたか」「無事でよかった」と友人からの電話が鳴りやまなかった。

 ■一言に深く感銘

 豪雨から3カ月が過ぎたころ、地域に密着した県警駐在員の姿を取材したいと思った。豪雨のとき、近くに住む祖母の無事を伝えてくれたのも駐在員だったからだ。

 取材に応じてくれたのは当時同新宮署駐在員だった松本浩伸さん(59)。豪雨の際は住民の避難や救助活動に尽力していた。そんな松本さんの口から、取材前には想定していなかった意外な言葉を聞いた。

 「自分の担当地区で死者を出してしまった。悔やんでも悔やみきれない」

 犠牲者を救えなかったという自責の念。その真摯(しんし)な姿に感銘を受けた。

 取材後、被災したときのつらい記憶がよみがえった。「あの日はただ見ているだけで、何もできなかった…」。そんな思いが次第に強まり、「記者と違う形で住民と触れ合い、地域に貢献したい」と転職を決意した。

 ■住民の命守りたい

 豪雨から半年後。熊野新聞社を退職し、県警に就職した。現在は御坊署地域課の巡査長として、地域の防犯指導やパトロールにあたる。地道な仕事だが、「『人の役に立ちたい』という目標は達成できているので、毎日やりがいを感じています」と言い切る。

 紀伊半島豪雨の後に取材した松本さんは現在、同じ御坊署地域課で勤務。運命的な再会の際は、「人生を変えてしまったな」と笑って声を掛けられたという。

 毎年のように、台風が近づくと管内の住宅を一軒ずつ回り、安全確保を呼びかける。25年ぶりに非常に強い勢力で日本に上陸した昨年9月の台風21号の際は、非番だったが出勤。激しい風雨の中、何本も電柱が倒れた道路で交通整理を続けた。

 「豪雨の怖さを知る者として、住民の命を守りたい」。地域のために、これからも取り組む覚悟だ。(井上裕貴)

紀伊半島豪雨 平成23年9月の台風12号は紀伊半島を中心に広範囲で記録的大雨をもたらし、和歌山県で56人、奈良県で15人、三重県で2人が死亡、3県で計15人が行方不明となった。山の斜面が岩盤ごと崩れる「深層崩壊」や、川が大量の土砂でせき止められる「土砂ダム」の現象が多発。気象庁が25年に「特別警報」を創設する契機となった。

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