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児童31人犠牲の大刀洗飛行場空襲から76年、「頓田の森の悲劇」慰霊祭

 5年生だった姉が即死したという遺族会の窪山強一会長(84)は当時2年生。一緒に頓田の森に逃げ込んだが、足に重傷を負ったものの、奇跡的に助かった。

 「あの日も青空が広がり、春休みを前にうきうきしながら学校へ行った。空襲警報が出たので、集団下校になったが、大きな飛行機を日本軍機と思っていたところ、爆弾が落ちてきた」と振り返る。さらに「こんな悲劇を二度と繰り返さないために、記憶を伝承していきたい」と語った。

ピースキャンドルも

 旧陸軍大刀洗飛行場は現在の筑前町、大刀洗町、朝倉市にまたがる敷地に大正8年に建設され、飛行学校があった。米軍は九州上陸作戦前に、同飛行場の空爆を開始。1回目の昭和20年3月27日はBー29爆撃機74機、2回目の同31日は106機が襲来。飛行場はほぼ壊滅した。空襲は7回にわたり、犠牲者は600~1千人以上ともいわれている。

 飛行場跡地の一角に建設された筑前町立大刀洗平和記念館でも27日、身元不明の遺骨を納めた「平和の碑」に献花台を置いて、犠牲者を追悼した。同館前では小中学生が平和へのメッセージを書いた1400本の「ピースキャンドル」に火を灯して平和を祈念した。

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