【九州・山口 新年インタビュー】(6)「新しいビジネスモデル模索」倉富純男・西日本鉄道社長
令和2年を振り返ると、3月から5月までが一番苦しい時期だった。8月の記者会見では「とんでもない事態」と会社存続の危機について触れた。当時は、新型コロナウイルス感染症対策についても不明なことが多く、そのままの事態が長く続けば、会社の存続に関わるとの認識だった。幸いなことに、その後、ワクチン開発が見え始めたので、コロナ以前の状態には戻らないものの、存続に関わるという危機感はない。
■「地域の足」再確認
このコロナ禍のなかで得られたものが二つある。
一つ目は、社会全体が動かなくなっている中で、地域の足を支えることができたこと。創立100年になる会社だが、社会の役に立ち、地域になくてはならない会社ということを再確認できたことは大きい。
二つ目は会社の業務を原点から見直し、リセットできたことだ。構造的に社内に矛盾を抱える部分があったが、社員が一致団結して知恵を出し始めた。これまでゆっくりとやってきたことが、加速度的に動き出した。
「筋肉痛が治ったら、より強い肉体になる」といわれるが、これが私の「筋肉痛」。コロナ禍を通して、社員の団結力を見直した気がする。
■苦しい中に明るさ
令和2年が、これ以上の暗い年はないという1年だったので、新しい年は苦しい中にも明るさが見えてくると思う。波はあるが、痛みを癒しながらも次のステージに上がっていくということだろう。今日よりも明日、明日よりも明後日というように、パワーが前に向かって出せるということは明るい。