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感謝の気持ち胸に疾走したい 原発事故で避難生活続く福島・浪江町

聖火ランナーとして生徒たちに感謝の気持ちを届けたいと話す池田泉さん=福島県いわき市(芹沢伸生撮影)
聖火ランナーとして生徒たちに感謝の気持ちを届けたいと話す池田泉さん=福島県いわき市(芹沢伸生撮影)
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【東北を駆ける】福島・浪江町の聖火ランナー 池田泉さん(48)

 東京電力福島第1原発事故の影響で、町民の多くが今も避難生活を続ける福島県浪江町。東日本大震災から10年を迎える今年3月、聖火ランナーとして故郷を駆け抜ける日が近づいている。東京五輪の大会組織委員会は、延期前に決まっていた聖火ランナーは希望すれば今年も走ることが可能としており、現在は正式決定を待っている。

 聖火ランナーには県の公募で選ばれた。応募の動機は「浪江町を忘れてほしくない」から。生まれ育った浪江町は原発事故後、全域に出た避難指示が平成29年3月まで続いた。避難指示継続地域は今も残り、町民約1万7千人のうち町内居住者は約1500人。「浪江町は負けないという思いも伝えたい」と意気込む。

■ ■ ■

 高校教諭として、いわき総合で教鞭(きょうべん)を執る。担当は保健体育。東京五輪で復活するソフトボールの指導に力を注いでいる。野球好きの父、幸雄さんの影響で小学4年から始め、浪江高校3年時に県高校選抜に入り国体に出場。準優勝したチームの一員として活躍した。しかし、原発事故から2年後の25年4月、幸雄さんは72歳で他界。震災関連死だった。

 震災発生当時の勤務先は母校の浪江高。ソフトボール部の監督として多忙な日々を過ごす中、職員室にいた際に長く激しい揺れに襲われた。「ロッカーがバタバタ倒れた。最後の揺れが大きく海側に引っ張られる感じだった」。当日は生徒の安否確認に追われた。震災による津波で、親戚や教え子を失った。

 原発事故後はみんなバラバラになった。「ほとんどの生徒が避難先を転々として、みんな疲労困憊(こんぱい)していた」。それでも、23年5月の学校再開後、部員たちはソフトボールをやりたいと訴えた。同月、二本松市にできた浪江高のサテライト校に通う部員で練習を始めた。

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