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【大場一央の古義解-言葉で紡ぐ日本-】伊藤仁斎 実践で観念やイデオロギーに対抗

 只(ただ)孝弟忠信を言て足れり『童子問』

 儒教の日本化に成功し、古義学の創始者として名高い伊藤仁斎(1627~1705年)は、生涯のほとんどで京都から出ることがなかった。角倉(すみのくら)家、里村家など名だたる富商と関係のある商家に生まれた仁斎は、11歳の頃には四書を学びはじめ、長じるにつれて朱子学に傾倒する。医者になることを望まれるもそれを拒否し、29歳で早々に隠遁(いんとん)生活を始め、仏教や陽明学などを渉猟し、内面を深く見つめる生活に入る。その極致とも言えるのが自らが死んで腐り、骨だけになっていく様子をイメージし、身体の欲をことごとく取り去ろうとする仏教式の修行、白骨観法の実践だ。

 それほどに内面だけを見つめ続けた仁斎であったが、やがてそうした人倫と隔絶された環境での修養には何の意味もないと悟る。批判の矛先は、仏教や陽明学にとどまらず、観念的な議論を尊ぶ朱子学に対しても向く。32歳で著した『仁説』では人間は人倫を離れては何ものにもなれず、仁こそが人間の本質であると説く。

 36歳で隠遁生活を脱し、「古義堂」という塾を開き、自らの思想を本格的に説き始める。「古義」という名は、朱子学など後世の学問によることなく、古の孔子や孟子の説いた学問の本義だけを純粋に追求するという宣言である。

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