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【かながわ美の手帖】馬の博物館 秋季企画展「和の匠 浮世絵に生きる馬の風景」 「お馬さん」が活躍、心和ます街道版画

 横浜市の根岸競馬記念公苑にある馬の博物館で「和の匠 浮世絵に生きる馬の風景」と題した秋季企画展が開かれている。馬(一部牛)は江戸時代に整備された東海道などを輸送手段の担い手として行き交っていたことから、浮世絵の風景画によく描かれている。例えば初代歌川広重の保永堂版「東海道五拾三次」では、実に21図に登場。馬に関するさまざまな文物を40年以上にわたり収集してきた同館ならではの展覧会だ。

 ◆北斎、広重、国芳

 葛飾北斎の「冨嶽三十六景 東海道程ケ谷」は現在の横浜市保土ケ谷区。絵の中央、馬に旅人と荷物を載せて街道を行く馬子が、松並木越しの富士山に思わず見とれている。それほどに見事な景観。この松並木の配置は印象派画家のモネに影響を与えたことでも知られる。

 広重の保永堂版「東海道五拾三次之内 奥津」は遠景に白砂青松の三保の松原を望み、手前の川では2人の力士が駕籠(かご)と馬に乗り分けて渡っている。地方巡業中か。4人がかりの駕籠かきの苦しげな表情がユーモラスでもある。この保永堂版によって風景版画の人気に火がつき、広重は確認できるだけで16種、北斎も7種の東海道シリーズを作った。

 歌川国芳の「東都富士見三十六景 昌平坂乃遠景」には狂歌が書き込まれている。〈道草の道の左りは駿河台ふじはむかふに笑ふ春の日〉。「駿河台の昌平坂から望む富士山が、本当は駿河国にあるので照れ笑いしている」と解釈される。同館学芸部部長の日高嘉継(よしつぐ)は「東海道を東から西へ向かうと、富士山は通常、街道の右側に見えるが、国芳は構図的にわざと『左富士』に描いた。そんな国芳を狂歌が皮肉っている」と、江戸っ子のユーモラスさを指摘する。

 ◆絵師、彫師、摺師

 馬装具や旅装具の現物も展示されている。例えば「口籠(くつこ)」。馬はよく人にちょっかいを出したり、気分が悪いと本気でかみついたりすることもある。加えて「街道の脇にはお馬さんの大好きな草が生えており、馬子をぐいぐい引っ張って、食べに行ってしまう。それでは困るので馬の口にはめたのが口籠。『道草を食う』はそこからきている」と日高。ちなみに記者の取材中、日高は「馬」とは言わず、「お馬さん」と親しみを込めて呼んでいた。

 その「お馬さん」のひづめを保護する必須道具が「馬わらじ」だが、北斎の「冨嶽三十六景 武州千住」では馬子の持つ手綱がなぜか馬わらじを引きずり、馬の頭が引っ張られ、手綱が遠景の富士山と対照的な逆三角形を作っている。

 日高は「しゃれの好きな北斎が、絵の中にしのばせた逆三角形に気づいてニヤリと笑う」と、江戸っ子の「粋」に言及。さらには広重の「木曾海道六拾九次之内 大井」を示して、しんしんと降る雪の山中を行く人馬の叙情性と優れた技巧に感嘆。「絵師と彫師と摺(すり)師の三位一体が作り上げた浮世絵木版画ならでは芸術性。これぞ『和の匠』」と語った。

 実際の摺りの工程が分かるよう、「武州千住」を例に、順序摺り一式を紹介するコーナーも見どころだ。

 明治2(1869)年、最初の乗合馬車が横浜の元町~吉田間を走った。「馬車道」という道の名は今も産経新聞社横浜総局の近くに残っている。荷馬車が活躍し、次いで鉄道馬車が日本各地に移入された。これらの模型も展示。時代の変わりようを絵師たちがこぞって描いた風景画は、「横浜絵」とも「開化絵」とも呼ばれた。三代歌川広重の「横浜商館繁栄之図」などがその一例だ。=敬称略(山根聡)

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 秋季企画展「和の匠 浮世絵に生きる馬の風景」は馬の博物館(横浜市中区根岸台1の3 根岸競馬記念公苑)で11月15日まで。午前11時~午後4時(入館は午後3時半まで)。月・火曜日休館(11月3日は開館、翌4日休館)。入館料は大人200円ほか。問い合わせは同館(045・662・7581)。

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 ■浮世絵の風景画(街道版画)

 江戸時代に東海道や中山道などの街道が整備され、庶民の間で旅への関心が高まるなか、その美しい景観や街道を往来する人々、にぎやかな宿場町の様子などを描いた浮世絵木版画の連作が人気を博した。天保年間(1830~44年)の前半に出版された葛飾北斎の「冨嶽三十六景」、歌川広重の「東海道五拾三次」「木曾海道六拾九次」や各種の風景画シリーズ、歌川国芳の「東都名所」などが知られる。

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