PR

地方 地方

【言葉の贅肉】鉛筆で書いて消してみる

 いつだって乱雑な自室の机の上。今日もそこでまた消ゴムを探している。

 消ゴムを探しているということは消ゴムがこの乱雑な机の上のどこかにあるってことだ。消ゴムが必要だってことは消したいものがあるってこと。つまりは消ゴムで消せる文房具を使用しての仕事をしている。それも仕事かと言われれば“仕事のような作業”と言い換えても構わないけど。

 鉛筆。今でも御使用しておりますか。

 その鉛筆を削り、芯を出し、その芯も更に削って細くトンガラせて。

 もしかして、鉛筆とくれば小さな穴に差し込むだけ。電動で芯まできちんと細くトンガッて、いつでも使用可の状態で使用しているのが鉛筆だろうか。

 それとも、消ゴムと似たような大きさの小さなプラスチックの箱。小さな丸い穴があって、そこに鉛筆を差し込みグルグルと数回あるいは数十回まわすと鉛筆の芯まできちんと細くトンガッていつでも綺麗な文字を書くことができる“鉛筆削り”を御使用か。

 電動だろうが手動だろうがいわゆる鉛筆削り器-鉛筆削り機が正しいのだろうか。もう何十年も使っていない。

 鉛筆はいつだって必ず小刀で自分で削る。近頃はその小刀が手に入らない。手に入れづらいが正しいだろうか。とりあえず、鉛筆を売っている文房具売場に鉛筆削り用と明記した“小刀”など見たことがない。つまりは売っていない。

 鉛筆。その芯に使われる“鉛”の正しい成分など知りはしないがその“鉛”を筆のような太さの木でつつんだのか、くるんだのか。芯を出して文字なり絵なりをかこうと思えば外側の木を削らなくてはならない。木を削るとなればナイフ、小刀、包丁、鉈(なた)…いずれ良く切れる刃物が必要で。

 個人的には我が家にあった鉈に鉛筆をあてがって削ったこともあった。面白がって。ノコギリもかなり刃が大きいものであれば削って削れないことはない。面白がって。

 小刀のことを津軽では“マギリ”と呼んでいた。鉛筆は“マギリ”で削るのが当たり前の当たり前。小学生の筆箱、鉛筆箱には鉛筆、消ゴムと一緒に必ずマギリが入っていた。何しろマギリが無ければ鉛筆が削れないのだから当たり前の当たり前。

 のちののち。アイヌ語辞典で知ったこと。アイヌ語で“小刀”のことを“マキリ”と呼ぶのだと。アイヌ語の“マキリ”が津軽訛りで“マギリ”そうかアイヌ語であったと知った時のうれしさたるや。その流れの歴史。

 その昔。弘前。我が家で飼っていた猫の名前はチャペだった。隣りの家で飼っていた猫の名前も偶然か、たまたまか、チャペだった。近所にチャペという名の猫はいっぱい居た。

 これまたのちのちののち。アイヌ語辞典で小刀をマキリと知った時に-チャペとはアイヌ語で“猫”のことだと知った。今でも時に思い出して「津軽では猫に“ネコ”と名付け、猫を猫と呼んでいたのだ」でニンマリ。

 探していた消ゴムから鉛筆。鉛筆から小刀のマギリ。マギリからマキリ。猫を猫。

 不要不急。GO・TO思い出か。

 マギリの代わり。今はカッターナイフ。自分で使う鉛筆は必ず自分の手で削る。気を抜くと刃で指を切る。その痛みもちゃんと忘れていない。刃物で切ると痛いぞ。切ると痛いのだから切られるともっと痛いぞ。今の教育で…無理か。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ