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【言葉の贅肉】アプリ検索の検索アプリ

 アプリ。

 十数年前か、数十年前か。初めて出会ったとき、まったく意味が通じなかった。結論から言ってしまうと“今もわかっていない”のだけれど。アプリ。

 お年玉付き年賀状で1等賞が当たった。1等賞の賞品は当時話題のノートパソコンとやら。特別にパソコンに興味があったわけではないが子供たちの勧めが強く、そのノートパソコンが手に入った。

 特別に興味があったわけではないのに、自分のモノになったとなればとりあえず箱を開けて説明書に目を通してみた。その説明書の中に突然、なんの挨拶もお断りもなくあちこちに“アプリ”なる言葉が出てくる。なんだこりゃ、だ。

 持ち主が“なんだこりゃ”と思っていることに気付いたのか次のページに「アプリとは」とあった。もっと早めに書いて欲しかったなぁと思いながらページをめくった。

 「アプリとは、アプリケーション、あるいはアプリケーションソフトウエアーのことである」

 と、あった。なんだこりゃに更なるなんだこりゃが重なった。私が思っている“説明”とか“解説”ではないではないか。

 「10を聞いて1すらわからなくなった」とでも言えばわかりやすいであろうか。

 学者と教授の違いを改めて思い出した。学者とは読んで字の如く“学ぶ者”である。好きなように学べば良いじゃないか。好きなように学んでいれば良いじゃないか、だ。“学者”なんだから。

 教授と学者は明らかに違う。教授とは、これまた読んで字の如く“教え授ける”

 学者は好きなように学んでいれば良いが、教授となれば相手が誰であろうと“教え授け”るワザを持っていなければならない。この教える技術を持っているからこそ“教授”と称し称されるているのだろうて。

 学者なんだろうなこの専門家。この評論家。言っていることが難し過ぎて何んの専門知識も持たない素人の私にはまったくその言いたいであろう主旨が理解出来ない。でもゆったりと言い含めるよな物言い。知識と経験を売り物にしている元弁護士のような半分、投げ遣りな態度は微塵(みじん)も感じさせない。デスマス調の語彙の豊富さも尊敬に値する。私程度の私から見ればカタカナ語が少し多過ぎるけど今の世では当たり前の量なのかも知れない。

 知識と教養と格調高い学問の奥義をきわめたであろうと自負しているに違いないゆとりの脚の組み方も羨ましい限り。

 でも。私程度の私には“何を言っているのか”さっぱりわからない。

 たぶんご本人は真摯(しんし)で丁寧なお心構えでご自分の研究成果をご披露なさっているのでございましょう-が、わからない。

 私程度の私。自分の頭の悪さや馬鹿さ加減を納得させるために思い出して利用してみようと思ったのが“学者と教授”だ。

 学ぶことと教えることの違い。

 私程度の私。学ぶことはせず、ひたすら教わる立場で自分を救おうとする考え方。考え方と書くのも烏(お)滸(こ)がましい。なんにも考えていないからこんな流れになっているのに。

 立派な研究を続けている“学者”ではあるのだろうが、それを伝える教える授ける勉強も研究も努力もしていないのだろうなぁ…と決めて納得している私程度の私。さて、アプリ…。

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