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【老舗企業かながわ】番外編 有隣堂 変わらぬ「挑戦の精神」

 本県を中心に、東京都や千葉県で40以上の書店を持つ「有隣堂」(横浜市中区)は、横浜の街とともに歩んできた111年の歴史がある。書籍の販売にとどまらず、飲食店の経営やオフィス用品販売などの企業間取引(BtoB)と幅広い分野で多角的な経営を展開。創業以来変わらぬ「挑戦の精神」とともに、本と人の新しい出会いの場の創出に取り組み続けている。

 有隣堂の創業は明治42(1909)年。同年は横浜開港から50周年に当たり、市民に広く歌われ続けている「横浜市歌」が、市民に披露されたのもこの年のことだった。

 ◆横浜という土地柄

 有隣堂の歴史は、現在の会長兼社長の松信裕氏(76)の祖父、大助氏が、現在の伊勢佐木町本店(同区)がある場所に開業した書店から始まった。社名の「有隣」とは「徳は孤ならず、必ず隣有り」という論語の一節が由来。当時は間口2間、奥行き3間の小さな書店だったという。

 文房具や雑貨の販売、飲食店を併設するという書店のスタイルは、今でこそ多くの場所でみられる光景だ。一方で、有隣堂は100年以上前の創業当初から同様の取り組みを実践してきた。文房具も取り扱っているのは創業のころから。大正時代には、本店に「有隣食堂」という飲食店も開店するなど、先進的な取り組みを早くから行ってきた。常に新しいことに挑戦するという気風の原点は、ここにあるといえよう。

 松信氏は「横浜という土地柄もあってか(創業者の)祖父は、かなり新しい物好きな人だったと聞いていますから、その影響もあったのかもしれません」としたうえで、「当時は珍しかった12色の色鉛筆をドイツから輸入して、店に飾っていたという話も残っています」と往時のエピソードを語った。

 ◆伸びしろ探した20年

 30年以上社長を務めてきた父が病に倒れ、6代目となる松信氏が同社の経営に本格的に携わり始めたのは平成6年。社長に就任したのは11年だ。現在までの約20年間について、松信氏は「まず会社の借金を減らすとともに、本が伸び悩む中で、会社の伸びしろとなる部分を探し続けてきた20年だった」と回顧する。

 日本における出版物販売額のピークは8年。松信氏が経営に携わり始めた当時は、このように徐々に出版業界に陰りが見え始めていた時代でもあった。「創業のころからの2本足、3本足打法で、新しいものを取り込んでいかなくては駄目だ」。松信氏は当時、そう強く思ったという。

 採算の合わない事業を廃止してコストを抑える一方、新規事業も積極的に展開。中でも外商活動に本腰を入れ、大手通販会社と手を組んでのオフィス用品販売などにも力を入れた。このような「BtoB」による事業は、今も売り上げの大きな柱だ。さまざまな取り組みが実を結び、16年には年間売上高が500億円を突破。現在でも536億円(令和元年8月期)と、松信氏が常勤取締役になった当初より、100億円以上の増収となっている。

 ◆根本には必ず本が

 また、30年3月には「東京ミッドタウン日比谷」(東京・日比谷)内に複合型店舗「ヒビヤ セントラル マーケット」を開店。237坪の敷地に書店だけでなく、飲食店や服飾店、理容店など多様な業態の9店舗が集う実験的な施設で、売り手と買い手が出会う「市場」や「街角」などをコンセプトとしている。

 さらに、書籍を中心にセレクト雑貨などを販売する台湾の企業「誠品生活」とも連携し、昨年9月には同社の日本第1号店となる「誠品生活日本橋」(東京・日本橋)の運営を手がけるなど、挑戦していく創業からの姿勢を堅持している。

 有隣堂では、9月1日付で社長に松信氏の長男、健太郎氏が就任する予定で、松信氏は会長としてとどまり、松信氏の社長就任以来、約21年ぶりの世代交代を迎える。松信氏は「書店という業態が、将来的にどのような変化をしていくかは分からない。しかし、いろいろな発展の仕方はあると思うが、その根本には必ず本があるということだけは、決して忘れてはならないことだろう」と力を込めた。 (太田泰)

                  ◇

【会社概要】

▽本社=横浜市中区伊勢佐木町1の4の1

▽営業本部ビル=横浜市戸塚区品濃町881の16 (045・825・5551)

▽創業=明治42(1909)年12月

▽資本金=5000万円

▽従業員数=約2400人 (アルバイト含む。令和2年5月現在)

▽売上高=536億円 (令和元年8月期)

▽事業内容=書籍、雑誌、事務用品、文房具、OA機器の販売。飲食店や音楽教室の経営など

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