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【戦後75年】特攻の歴史、3機が語る 「引き揚げられた航空機」展、3館同時開催

平成8年、博多湾から引き揚げられる九七式戦闘機=福岡県筑前町立大刀洗平和記念館提供
平成8年、博多湾から引き揚げられる九七式戦闘機=福岡県筑前町立大刀洗平和記念館提供

 海底に沈んでいた旧日本軍の航空機を展示する「引き揚げられた航空機」展が23日から、福岡県と鹿児島県にある三つの戦争資料展示館で同時開催される。会場は福岡県筑前町立大刀洗平和記念館と鹿児島県南九州市立知覧特攻平和会館、同県南さつま市立万世(ばんせい)特攻平和祈念館で、いずれも特攻出撃の拠点になった旧陸軍飛行場の一角にある3館が初の連携展示を企画した。戦後75年の節目に特攻基地と引き揚げられた航空機のドラマを紹介する。

 ◆大刀洗平和記念館

 大刀洗飛行場は大陸への中継基地として大正8年、陸軍によって現在の筑前町、大刀洗町、朝倉市にまたがる地域に建設された。戦艦からの砲撃を避けるため内陸部が選ばれたのだ。その後、西日本の戦略拠点としての重要性が高まり、航空機製造などの関連産業が集まる「軍都」に発展。昭和15年には陸軍飛行学校が開設され、西日本一帯に開設された分校は18校にも上った。だが、昭和20年3月の米軍空襲で壊滅的な打撃を受けた。

 同飛行場からも特別攻撃隊4機が出撃。その後も出撃態勢をとったが終戦となった。

 平成8年、博多湾のアイランドシティ建設予定地から、日の丸が見える航空機1機が発見され、引き揚げられた。51年ぶりに姿を見せたのは九七式戦闘機だった。遺留品から昭和20年4月、特攻出撃命令を受け、旧満州(中国東北部)から知覧飛行場へ向かう途中にエンジン不調で、博多湾に不時着したことが分かった。搭乗した陸軍少尉は漁船に救助されたが、8日後に知覧飛行場から特攻出撃し戦死した。

 機体は保存状態も比較的よく、同型機で現存するのは、この1機だけだという。車輪は漫画家、松本零士氏が寄贈した。

 ◆知覧特攻平和会館

 大刀洗飛行学校の知覧分教場として昭和17年に開設されたのが鹿児島県知覧町(現・南九州市)の知覧飛行場だ。沖縄戦の戦況が厳しさを増す中、特攻攻撃が始まる。知覧飛行場から飛び立った特攻隊員439人は帰らぬ人となった。知覧特攻平和会館は、沖縄戦で戦死した特攻隊員1036人の遺影や遺品など約4500点を展示している。

 今回展示するのは、零式艦上戦闘機。同県薩摩川内市の甑島手打港沖500メートル、水深35メートルの海底に機体が沈んでいるのをダイバーが発見。昭和55年に当時の知覧町が引き揚げた。尾翼などが失われ、無残な姿だったが、20ミリ機銃2両などが確認でき、往時をしのぶことができる。

 同会館によると、戦闘機は不時着機と見られ、特攻機ではなかった。しかし、乗員が戦後間もなく亡くなったため、詳しい事情は不明のままという。

 ◆万世特攻平和祈念館

 知覧飛行場から西へ約15キロ行った南さつま市・吹上浜周辺に、終戦直前の昭和20年3月開設されたのが万世飛行場だ。戦況が行き詰まり、知覧飛行場の運用に支障が出始めたため同飛行場の補助として造られた。このため7月までのわずか4カ月間しか存在せず「幻の特攻基地」とも言われている。同飛行場から特攻出撃し戦死した121人の隊員など201人の遺影を展示している。

 万世特攻平和祈念館では、零式水上偵察機を展示する。この偵察機は吹上浜沖600メートル、水深5メートルの海底で、砂に埋まった状態になっており、平成4年に引き揚げられた。木製の尾翼やフロートなどは失われていたが、発見当時のままの展示となっている。偵察機は製造番号から昭和20年6月に沖縄方面へ夜間偵察に向かったが、燃料不足で不時着。乗員3人が脱出したあと、水没したことが分かった。

 3館は同じパネル6枚を使って、海底から引き揚げられた3機のドラマを紹介する。9月22日まで(万世特攻平和祈念館は8月22日まで)。

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 「引き揚げられた航空機」展以外にも、福岡県筑前町立大刀洗平和記念館では、企画絵画展「特攻花」が8月30日まで開催中。特攻の中継基地だった鹿児島県喜界町の喜界島で、特攻隊員に島のテンニンギクを贈って見送ったことから、この花を「特攻花」とも呼んでいる。東京在住の画家、横山忠正氏が現地を訪ねて描いた30点を展示している。

 一方、鹿児島県南九州市立知覧特攻平和会館では、9月30日まで「父の遺言-義烈空挺隊の真実」展を開いている。昭和20年、米軍に占領された沖縄の航空基地破壊のため、基地に突入した義烈空挺隊の真相に、米軍の資料などを基に迫っている。

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