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【想う 10年目の被災地】7月 震災遺構、五感で感じて 宮城

 □中浜小学校元校長・井上剛さん(63)

 ■「屋上に上がり海を見て疑似体験を」

 平成23年の東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県山元町の町立中浜小学校。発生当時は校舎の2階部分にまで津波が押し寄せたが、屋上に避難した児童、教職員ら90人は難を逃れた。震災当時、同校で校長を務めていたが、当時の記憶は今も脳裏に焼き付いている。

 「震災当日は校長室での仕事中に揺れに襲われ、校内にいた児童や教職員らを屋上に避難させることを決断しました」

 震災当時、同校の避難マニュアルでは直線距離で約1・4キロほど内陸側の同町立坂元中学校に避難することになっていた。ただ、それまでの避難訓練で徒歩で約20分かかることがわかっていた。

 「テレビから聞こえる津波警報は刻々と内容が変化していきました。津波到達までに時間がないと思い、屋上への避難を指示しました。10メートルの津波が来るとの情報が入り、海抜や平成元年の校舎のかさ上げ工事から避難に必要な高さを計算し、屋上なら津波に耐えられると判断したのです」

 校庭に集まっていた地域住民も屋上に避難した。地震から約1時間後に第1波、2波の津波が校舎に到達。津波は第4波まで校舎2階部分に到達し続けた。

 「津波到達まで時間がかかっても、一度屋上に上がったら絶対に下に降りては駄目だと言い聞かせていました。その場にいた全員の命がかかっていた判断だったので、責任が両肩にのしかかっていました。非常時に冷静な判断ができたのは“火事場のばか力”でしょう」

 町は29年2月に同校を震災遺構として保存することを決定。震災発生から10年目という節目の今年に公開される予定となった。自身は定年退職後、語り部として校舎に足を運んでいるが、震災の記憶が風化されることへの危機感も肌で感じている。

 「町の子供も震災を経験していない世代が増えてきています。語り部として危機感は持っていますが、若い世代に危機感を押し付けてはなりません。慎重に時間をかけて、できることからやっていき、震災を伝える次世代の人々を支えていきます」

 新型コロナウイルスの感染拡大は、震災伝承にも影を落としている。今月19日に一般公開の予定だったが、感染拡大の影響で延期になった。今後、県をまたいだ移動の自粛などが再び要請された場合、どう対応するのか。模索は続く。

 「ビデオ会議システム『Zoom(ズーム)』などを活用したオンライン上の語り部でも話は伝わりますが、限界はあります。五感で現場を感じることは重要だからです。中浜小でいえば、屋上に上がって海を見て、震災を疑似体験するということです。オンラインでの語りであの日、何が起こったかを理解してもらい、遺構に足を運ぶという流れは有効だと感じています」 (塔野岡剛)

                  ◇

【プロフィル】井上剛

 いのうえ・たけし 昭和32年6月生まれ。群馬県下仁田町出身。福島県郡山市内の大学を卒業後、56年に教員となり、技術・家庭科を担当。中浜小校長には平成22年4月に着任した。30年に定年退職後は「やまもと語りべの会」で本格的に語り部活動を開始。宮城教育大で非常勤講師として防災講座を担当している。

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