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【大場一央の古義解-言葉で紡ぐ日本-】島義勇 円山の丘に眠る佐賀の俊英

 南は中原(ちゅうげん)の地を護り、北はよく魯戎(ろじゅう)を鎮めん 『北海道紀行』

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 北海道開拓の父と呼ばれる島義勇(1822~1874)は、9歳で佐賀藩校弘道館に入り、その俊英ぶりがたたえられた。23歳で家督を継ぐと、すぐさま江戸に遊学。江戸幕府の最高学府、昌平黌(しょうへいこう)の学頭で、当時最も学識をうたわれていた佐藤一斎や、水戸学のイデオローグとして会沢正志斎(せいしさい)と双璧をなす藤田東湖(とうこ)に学ぶ。

 26歳で藩主、鍋島直正に近侍して西洋技術を学び、弘道館教諭の枝吉神陽(えだよし・しんよう)が率いる南北朝時代の武将、楠木正成、正行(まさつら)親子を顕彰する「義祭同盟」に29歳で参加。国学的見地から、統一国家としての日本を目指すようになった。

 しかし、当時の政局が国内における倒幕・佐幕で水面下の権力争いに明け暮れる中、ロシアの南下政策に強い危機感を抱いた島は、中央政界の権力の綱引きから離れ、十文字龍助(りょうすけ)、玉虫左太夫(さだゆう)、松浦武四郎ら佐幕派の北方通と親密に交わる。戊辰戦争に従軍して関東各地を転戦し、明治2年に開拓使判官として北海道に赴任する。

 島は、後に円山と呼ばれるコタンベツの丘(現北海道神宮)に大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)の開拓三神を奉祭するや、北海道の“首都”たる札幌の大都市計画を発表した。

 幅76メートルの大火除地(現大通公園)が東西を貫き、南北に縦貫する大友堀(現・創成川)と合わせて碁盤の目に区切られた街には官庁街や商業地、学校や住宅地が機能的に配分される。北海道の頭脳とも言うべき「札幌本府」からは、北海道中に幹線道路が張り巡らされ、すぐ近くの銭函(ぜにばこ)、小樽の良港からは世界に向けて海運を行う。そして、この本府には、日本中の志ある人材を集め、将来には世界第一の都とするという、気宇壮大なものであった。

 島はまた、当時政府と結びついてアイヌから搾取していた政商の特権を剥奪し、日本人の総力を集めた都市建設を進めようとしたが、島の構想が理解できない新政府と、島を恨んだ政商によって左遷される。

 中央政府は地方をないがしろにして政争の具とし、結局は日本の国防を危うくすると考えてから距離をとった島は、皮肉にも中央政府への反乱、佐賀の乱に巻き込まれて53歳で落命する。それでも北海道神宮の末社、開拓神社にまつられる島は今も札幌、円山の丘から日本をまもり続ける。

 北海道こそが南は首都圏を守護し、北はロシアの脅威をおさえこむ-。

 北海道式は対外防衛を見据えたその後の近代都市のモデルケースとして採用され、今も台湾には「円山」という地名がある。

 島の理想はその後、全国第4位の200万都市、札幌市を中核とする北海道として実現した。民間調査会社ブランド総合研究所の都道府県魅力度ランキングでは、平成21年の調査開始以来11年連続で1位に輝く。

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【プロフィル】おおば・かずお

 昭和54年、北海道札幌市生まれ。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早大非常勤講師。著書に『心即理-王陽明前期思想の研究』(汲古書院)など。

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