PR

地方 地方

中村医師ゆかり朝倉・山田堰で三連水車17日稼働へ 対岸のうきは・大石堰とともに筑後川流域を潤す

雨の中で進められた三連水車の組み立て作業
雨の中で進められた三連水車の組み立て作業

 アフガニスタンで農地復興などの支援活動中に凶弾に倒れた中村哲医師が灌漑(かんがい)用水のモデルとした福岡県朝倉市山田の山田堰(ぜき)で17日に通水式が行われるのを前に、農地に水を揚げる近くの国指定史跡、三連水車が11日、全面改修された。一方、筑後川の対岸の同県うきは市浮羽町大石地区では「5庄屋物語」の伝承がある大石堰が15日から取水を始める。一帯は田植えシーズンを迎える。(九州総局 永尾和夫)

 朝倉地方では江戸時代に干魃(かんばつ)や飢饉(ききん)が相次ぎ、福岡藩は寛文3(1663)年、筑後川から水を引き込む堀川用水を開削。18世紀末には取水量を増やすため筑後川に大掛かりな堰を設けた。これが山田堰で、強い水圧に耐えられるよう斜めに配置され、総石張りの独特の構造が特徴。

 同時に、山側の高い農地にも水を揚げるため、近くに水車が導入された。三連水車のほか、二連水車が2カ所にあり、実働する水車としては国内最古といわれる。水車群は堀川用水とともに平成2年に国の史跡に指定された。

 ■アフガンのモデル

 山田堰には、福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表としてアフガンを支援していた中村医師もたびたび訪れていた。2000年にアフガンが干魃に見舞われてからは用水路の開削に着手したが、取水技術の壁に直面。この際、モデルにしようと思いついたのが山田堰だったという。中村医師は用水を管理する山田堰土地改良区(組合員1180人)に「山田堰との出合いは決定的だった」との感想を寄せている。

 中村医師と親交の深かった同改良区の前理事長で、ペシャワール会理事の徳永哲也さん(73)は「自然との共存を大事にされた方だった。先生の遺志を継承していきたい」と語った。

 山田堰から約2キロ離れた三連水車は5年に一度、全面改修している。11日は雨の中、水車大工の妹川幸二さん(62)らが直径約4~5メートルの水車に、水車を動かす羽根板や水をくむ木箱を取り付けていき、組み立て直した。

 山田堰では17日に通水式が行われる。水神社で神事を執り行った後、境内地下にある水門を開く。水は15分ほどで三連水車に達し、周辺約30ヘクタールにわたる水田を潤す。

 ■5人の庄屋が尽力

 一方、山田堰の対岸で上流約5キロにあるのが大石堰だ。大石堰は久留米藩によって建造された。

 うきは地域も目前に川があるのに水利が悪く、干魃が頻発していた。このため寛文4年、5人の庄屋が立ち上がり、10キロ近く上流の筑後川から水を引くことを計画した。反対運動が起きる中、処刑覚悟で藩に陳情した。これが藩営事業として受け入れられ、村人ら延べ4万人を動員し導水に成功した。その後、改修を重ね大石・長野水道として今にいたっている。

 この5人の庄屋の物語は地域に伝承され、うきは市立江南(えなみ)小学校には「五庄屋資料館」がある。毎年5月に「五庄屋追遠会」を開催し、献花をしたり、この物語を盛り込んだ校歌を歌ったりして偉業をしのんできた。校歌は8番まであり、歌詞には5人の庄屋の氏名のほか「はりつけ」や「刑罰」といった穏やかでない文言も登場する。庄屋の活躍ぶりを24番まであった歌詞から抜き出し、8番までにしたのだという。しかし今年の追遠会はコロナ禍のため中止になった。

 大石堰は昭和28年の筑後川大水害で破壊され、その後、コンクリート造りになった。現在、大石堰土地改良区(会員3160人)が総延長148キロにもなる水路を管理しており、15日から取水を開始、1900ヘクタールの農地を潤す。

 同市大石地区は昨年度、国土交通省の「かわまちづくり」計画に登録された。今後、隣接する筑後川温泉とも連携し、道路や大石分水路を整備。スポーツやマルシェ開催などでにぎわいを創出する計画だ。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ブランドコンテンツ