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【大場一央の古義解 言葉で紡ぐ日本】(13) 会沢正志斎 忠孝に貫かれた「国体」を守る

 国にして体(たい)なくんば、何を以て国となさんや『新論(しんろん)』

 水戸藩(現茨城県)藩校弘道館の総帥として攘夷思想を指導し、九州・山口では吉田松陰、真木和泉、西郷隆盛などに多大な影響を与え、当時の国策をも左右した会沢正志斎(1782~1863)は、幕末最大の思想家だ。

 10歳で藤田幽谷に入門した会沢は、そこで徹底的に儒学を叩き込まれた。20歳でラクスマン来航を機にロシアの南下政策を分析して『千島(ちしま)異聞(いぶん)』を著す。22歳から日本最大の歴史書である『大日本史』の編纂(へんさん)拠点、彰考館(しょうこうかん)に勤務し、豊富な史料に囲まれながら研究を進める。43歳のとき、漂着したイギリス人船員と接触。西欧の東洋侵略について危機感を抱いた。

 一連の研究成果を総合して文政8(1825)年に著したのが『新論』である。

 そこでは、西欧の物質文明は非常に高度であり、戦国時代以来、軍事研究が停滞している日本では到底太刀打ちできないこと。また、三百年の泰平に慣れて弛みきった日本人が武士だの大和魂だの言ったところで無駄だと一刀両断する。

 その上で、西欧諸国は植民地化を進める国々で、燦然(さんぜん)たる物質文明の成果を見せつけ、その源泉が西欧思想やキリスト教にあるとして、土着の価値観を上書きしようとする「思想戦」を仕掛けていると警告する。

 さらに、それに感化された被占領民の中には、積極的に西欧的価値観の称揚(しょうよう)に加担し、既存秩序を破壊しようとする者さえ現れるとも喝破(かっぱ)した。現代にも通用する極めて鋭い分析だ。

 会沢は、こうした見地から進んだ物質文明を取り入れつつも、逆にわが国が思想面で西欧を凌駕(りょうが)していることを示さねば、日本が日本でなくなると主張した。

 日本の思想とは何か。それは記紀以来一貫して、皆が役割分担して、一つの共同体を支え、祖先もそうして人倫社会を形作ってきたとして、その理念を継承することだ。これらを一言でいうと「忠孝」となる。

 その姿は、昭和の高度経済成長期を想像してもらえればわかり易い。会社や家庭の役割分担がしっかりとなされ、社員や家族が一丸となって社会を作り上げていた。分厚い中産階層に支えられた昭和日本では、会社や家庭の先にある日本国に対する「忠」と、そうした日本を作ってきた祖先に対する「孝」とが複層をなしていた。

 忠孝こそが日本という共同体の本来のあるべき姿、すなわち「国体」である。そんな日本の国体は、神との契約や、自由という観念から形作られた個人といった西欧的価値観とは根本的に相いれない。

 それ故、会沢は幕末の西欧諸国との出合いの先に、日本文明の生き残りをかけた思想戦の存在を見た。

 勝利に必要なのは、忠孝に貫かれた人倫社会を守る営みに尽きる。それが、日本でのあるべき「保守的」な態度である。

 ところで、自由経済やグローバリゼーションを背景とした国際化や多様化が賞賛される今日、「保守」を名乗る人々のどれほどが、それを意識しているのだろうか。

 『新論』の警鐘はますます音を強めている。

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【プロフィル】おおば・かずお 昭和54年、北海道札幌市生まれ。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早大非常勤講師。著書に『心即理-王陽明前期思想の研究』(汲古書院)など。

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 戦後、失われつつある先人の日本人観を思い起こすため、九州・山口の先哲や彼らに影響を与えた各地の思想家の言葉を、気鋭の儒学者、大場一央氏の解説で紡ぎます。

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