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【大場一央の古義解-言葉で紡ぐ日本-】吉田松陰 心動かす鍛えられた純粋さ

 余寧(むし)ろ人を信ずるに失(しっ)するとも、誓って人を疑ふに失することなからんと欲す

  『講孟余話(こうもうよわ)』

 「草莽崛起(そうもうくっき)」を唱えて30年の人生を一気に駆け抜けた吉田松陰(1830~1859)は、明治維新そのものだった、と言っても過言ではない。

 9歳で長州藩(現山口県)の兵学師範、21歳で九州を周り、22歳で江戸に遊学。さらにその年、藩の許可なく東北に旅立ち、士籍剥奪となる。ペリー来航の際には黒船に乗船して捕縛され、萩の野山獄に収監。このとき25歳。28歳で松下村塾を開いて教育を開始。翌年老中、間部(まなべ)詮勝(あきかつ)の襲撃を計画し、またも野山獄に投獄。安政の大獄に連座し、幕府の取調べ中、この計画を告白し、処刑された。

 略歴だけであれば、この長さに収まるほどの短い人生は、会沢正志斎(あいざわせいしさい)、山鹿素水(やまがそすい)、佐久間象山(さくまぞうざん)のような時代を牽引(けんいん)した学者や、宮部鼎蔵(ていぞう)のような運動家、または桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文のような維新のリーダーたちとの交流によって濃密に彩られている。

 松陰は彼らとの対話を通じて素直すぎるほど警戒心なく感激し、あるいは自分を卑下しすぎではないかと思うほど淡々と批評し、その様子を家族に書き送る。

 家族から見た松陰は、めったに怒ることもなし、出世やお金や女性にはまるで関心がなく、温厚で家族に何でも話す素朴な人柄だったが、国事となると激情家になる。この驚くほどに純粋で無私な性格は、一人の人生としてはあまりに不器用で、波乱にあえて進んでいき、佐幕・倒幕を問わず、時代や人の偽善を遠慮会釈なく暴いていって、人々の心に情熱の火をつけていくのであった。

 松陰の手紙や人生を見ると、書物や人の学識を貪(むさぼ)るように摂取し、すさまじい早さで議論を広げていく。この姿を前にすると、自分の人生に対し、なんとなく居心地の悪さを覚えるほどだ。

 とはいえ、松陰も政治に関われば関わるほど、その純粋さを維持することに苦しみ、同志たちを激しく罵倒することがあった。人間や社会に絶望することがあった。松陰が偉大なのは、ここですりきれることなく、踏ん張り抜いたことである。

 私は人を信じて失敗したとしても、誓って人を疑って失敗するような情けない生き方だけはすまい-。

 純粋さとは、意志の力で守るものであり、鍛えられた純粋さだけが、人の心を動かし、人との出会いを価値あるものにするのだ。

                  ◇

【プロフィル】おおば・かずお

 昭和54年、北海道札幌市生まれ。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早大非常勤講師。著書に『心即理-王陽明前期思想の研究』(汲古書院)など。

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