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【御朱印巡り】神仏習合の名残色濃く 「仁科の里」の鎮守社 長野・若一王子神社

神仏習合の名残が今も色濃く残る境内。三重塔には、大日如来が中央に位置する五智如来が安置されている=長野県大町市(松本浩史撮影)
神仏習合の名残が今も色濃く残る境内。三重塔には、大日如来が中央に位置する五智如来が安置されている=長野県大町市(松本浩史撮影)
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 若一(にゃくいち)王子とは、伊勢神宮の祭神としてあがめられる天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一視される偉大な神様で、言うに尽くせぬ聖域をなす紀伊半島南部の熊野那智大社に祭られていた。「仁科(にしな)の里」(現在の長野県大町市大町周辺)を治めていた仁科盛遠(もりとう)が鎌倉時代に勧請したと伝わる。社名は、こうした故事にちなんでいる。

 もっとも、創建はこれより遡(さかのぼ)り、第11代の垂仁天皇の御代(みよ)に、仁科氏の祖先神とされる仁品王(にしなおう)が伊弉冉尊(いざなみのみこと)を奉祀(ほうし)したのが起こりとされ、その後、この地を治めていた豪族の仁科氏の某が、仁品王と妃の妹耶姫(いもやひめ)を合祀(ごうし)した。創建は、平安時代の嘉祥(かしょう)2(849)年だと社伝にはある。

 竹内直彦宮司は「この一帯は北アルプスの豊かな湧水に恵まれている。伊弉冉尊は『水分神(みくまりのかみ)』として祭られたのだろう」と推察する。4神が鎮座する本殿は、仁科盛康が戦国時代の弘治(こうじ)2(1556)年に造営し現在に至る。昭和25年には国の重要文化財に指定された。

 境内は、神仏習合の名残を色濃く残しており、寺院では見慣れた観音堂と三重塔(ともに県宝)が建っている。観音堂の本尊は十一面観音像で、三重塔には大日如来が中央に位置する五智(ごち)如来が安置されている。神仏習合の考え方だと、天照大神が姿を現した本地仏(ほんじぶつ)は、観音像と大日如来である。日本にもたらされた独自の宗教現象がこの社の言い知れぬ魅力なのである。

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