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【大場一央の古義解 言葉で紡ぐ日本-(11)】毛利元就 長州の礎築く孤独な知将

 智(ち)万人(ばんにん)に勝(すぐ)れ、天下の治乱盛衰に心を用ふる者は、世に真の友は一人もあるべからず『名将言行録』

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 知将として知られる毛利元就(1497~1571)は、安芸(現広島県)の小国人領主から中国地方8カ国の大大名となり、長州藩(同山口県)の礎を築いた。幼少期に本領から追われ、窮乏生活を送るほどに不遇であったが、後に兄の子の後見役から毛利家当主となった元就は、ぐんぐんと家勢を盛り上げた。

 とはいえ、国人領主の盟主となったのが40歳、当時中国の雄であった大内氏を率いる陶晴賢(すえ・はるたか)を討ったのが59歳、山陰の覇者、尼子氏を滅亡させたのが70歳であるから、当時としては驚異の遅咲きと言って良い。

 元就の強みは、なんと言っても謀略にある。謀略とは、戦争を始める前に相手陣営の不和を起こしたり、偽情報で戦場の決定を混乱させたりして、いざ戦いが始まった時には、敵がいくら戦力を集めてもほとんどが動けず無力化させてしまうための「仕込み」のことを言う。

 社員の結束やメンバーの選出、主力事業の選定、投資額の算出、宣伝対象の絞り込みなど今日の企業での取り組みを、戦争に置き換えてみれば、人事や情報戦略の大切さが分かる。元就はそれらを操作する術に勝れていたということだ。

 よく言えば人をよく知っていて、物事を冷徹に読みきれる。悪く言えば人の善意や悪感情を刺激し、数字でしか物事を見ないということでもある。

 そんな元就だが、将棋や囲碁などといった芸事には全く興味を示さず、その道のプロを呼んでやらせてみるだけであった。理由は、芸事などで頭を使ったところで、ルールのあるゲームでは却って頭が固くなるからという。

 では元就は何に頭を使っていたのか。それをひもとくのが冒頭の言葉である。

 知恵が万人に勝れている者が日本の泰平を本気で考えたら、同レベルの者同士なら理想がしっかりしている分、退くに退けず命がけで争うこととなる。志のない者はなおさら相手にならない。そう考えると真の友とはなかなかいないものだ-。

 トップが常に孤独なのは宿命である。ただ、元就の志は後の長州藩士達に受け継がれ、共有される。その意味では、後世に真の友を得ていたのかもしれない。

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【プロフィル】おおば・かずお

 昭和54年、北海道札幌市生まれ。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。早大非常勤講師。著書に『心即理-王陽明前期思想の研究』(汲古書院)など。

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