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【大場一央の古義解―言葉で紡ぐ日本―】(3)宮本武蔵 実践と工夫 剣豪の「無敗宣言」

 我(われ)、事(こと)におゐて後悔をせず 『独行道(どっこうどう)』

 剣豪、宮本武蔵が生まれた天正12(1584)年は、小牧・長久手の戦いが起こった年である。

 この戦いの後、豊臣秀吉は各国の戦国大名に「惣無事令(そうぶじれい)」を出し、刀槍で成り上がる時代に事実上の終止符を打った。武将としての武蔵は、生まれると同時に死んでいたのである。

 だが、武蔵はそんな時代に逆行するように、自身の心を将、身体を兵に見立て、これを自在に動かす「兵法」を開発して敵に打ち勝ち、自らの将才を証し立てようとする。13歳で臨んだ初めての決闘を皮切りに、29歳まで60余回の勝負すべてに勝利したという。

 この間、武蔵はさまざまな武器を吟味(ぎんみ)して使いこなすこと、頭のてっぺんから足の指先まで適切に運用すること、確実に相手を仕留めるための仕掛け、そして、必殺の気魄(きはく)を高めるための心構えまで詳細に探求し続ける。

 勝利にこだわるこの執念はどこからくるのか。

 武蔵にとって兵法とは、徹底した合理的思考と強靱(きょうじん)な精神力を援用し、あらゆる困難や誘惑に打ち勝ち、優れた指導者になる方法論だった。武蔵は武将として、万民の守護者となることを志していたのだ。兵法を体得すれば、人材を蓄え、集団を指揮し、身持ち正しい政道が実現できる。だがしかし、泰平の時代、兵法に居場所はなかった。

 時代が許さぬ志を、武蔵は「剣」での無敗により主張した。それは、己の不遇との戦いでもあった。

 武蔵は、瞑想(めいそう)や議論ではなく、徹底した道具立てと技能の修練による百戦錬磨の成果にのみ、理想とする兵法が立ち現れてくると考えていた。

 それは、あらゆる職業において、日々毎々の実践と工夫の積み重ねの末にのみ、いわく言いがたい名人芸や見識が身につくことと符合する。学問的・宗教的観念を疑い、生活に存在する「道」だけを信ずる日本人の民族的思想が、生き死にを賭(か)けた武蔵の内面で、容赦なく研磨されたのだ。

 『独行道』を書き上げた直後の正保2(1645)年5月、武蔵は自邸で没する。

 「人生で行った全ての決断について、後悔はしない」という冒頭の言葉は、尚武(しょうぶ)の地、熊本で『五輪書』を著し、生まれつきの不遇を一刀両断に斬り捨て、指導者の人生を孤独に強行した、武蔵の無敗宣言である。

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