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【かながわ美の手帖】鎌倉市川喜多映画記念館・企画展「昭和を彩る女優たち 松竹大船撮影所物語」

 ■明るくて朗らか、「王国」の佳人たち

 「昭和を彩る女優たち 松竹大船撮影所物語」と題した企画展が鎌倉市川喜多映画記念館で開かれた。今年で100周年となる松竹映画。「女優王国」とも言われ、鎌倉の松竹大船撮影所(昭和11年開所、平成12年閉鎖)では名監督のもと、数多くの名作が生まれた。松竹大船の黄金時代は、そのまま日本映画のそれと重なる。

 ◆東洋のハリウッド

 冒頭には、松竹大船撮影所50周年記念映画「キネマの天地」(山田洋次監督)のポスターが貼ってあった。昭和9(1934)年頃の東京・蒲田撮影所を舞台に、映画作りに情熱を燃やす人たちを描いた作品。大船に移転する直前の、サイレント(無声)からトーキー(発声)に変わる時代の話でもあった。

 日本初の本格的なトーキー映画は松竹蒲田の五所平之助監督作品「マダムと女房」(6年)。だが、蒲田は町工場の騒音で撮影に不向きに。そこで浮上した移転先が、大正期に「田園都市構想」があった大船。都市計画は2年の金融恐慌で頓挫していたが、松竹は9年にその広大な用地を購入、11年に撮影所を設立した。映画都市づくり、いわゆる「東洋のハリウッド」を目指したのだ。その詳しい関係資料も展示されていた。

 翌12年、撮影所を一般開放して「松竹大船まつり」を開催。その様子を地元の商店主が撮ったホームムービーを今回、モニターで見ることができた。

 「素顔のスターがいっぱい出てきて、大変貴重。家族のような温かさは『蒲田調』から『大船調』へと続いた松竹映画の雰囲気そのもの」と同館総括責任者の増谷文良。笠智衆、佐野周二、三宅邦子、佐分利信(さぶりしん)、さらには翌年公開の「愛染かつら」(主題歌は「旅の夜風」)で一世を風靡(ふうび)する田中絹代と上原謙の、はしゃぐ姿も出てきた。

 ◆黄金時代

 9年に桑野通子と高杉早苗が蒲田入り、11年には高峰三枝子が大船入り。明るく朗らかでモダンな、新世代を代表するスターに育っていく。だが、戦時色の深まりとともに、女性映画やメロドラマが中心の松竹には苦しい時代となる。

 そして終戦。札幌の映画館前で米兵が看板を眺めている1枚の写真が貼ってあった。映画は松竹大船が戦後、先陣を切って製作して20年10月に公開した「そよかぜ」。主演の並木路子が歌った主題歌「リンゴの唄」も大ヒットし、「うちひしがれていた日本人を喜ばせた」と増谷。

 日本初の国産総天然色(カラー)映画も松竹大船が製作した。26年公開の高峰秀子主演「カルメン故郷に帰る」(木下恵介監督)。高峰秀子は木下監督のメガホンで松竹映画の代表作となる「二十四の瞳」(29年)にも主演。33年には映画館の年間入場者数が、空前の11億人超えを記録した。

 だが35年、映画の潮流が変わる。「60年安保」の年。20代の大島渚監督が「青春残酷物語」で成功を収め、同世代の篠田正浩監督、吉田喜重監督も野心的な作品を発表する。これは「松竹ヌーベルバーグ(新しい波)」と称された。一方で、岸恵子、有馬稲子、岡田茉莉子、岩下志麻、倍賞千恵子らが昭和のスクリーンを彩り続けた。

 「王国」を担った女優たちの代表作を映画ポスターでたどった本展では、松竹を代表する「東京物語」の巨匠・小津安二郎監督が愛用したピケ帽、白足袋、眼鏡などの品々、小津組で撮影監督を務めた厚田雄春(ゆうはる)の撮影道具(ロー・ポジション撮影用に特注し、小津好みの赤色に塗って「カニ」と呼ばれた三脚など)も合わせて展示。「小津監督は『人間を描けば社会が出てくる』と語ったが、まさに松竹映画が描いてきた大切なものを伝えたかった」と増谷。

 「砂の器」(49年)などを手がけた日本を代表する撮影監督で昨秋、93歳で死去した川又昂(たかし)の追悼展示も行われた。=敬称略(山根聡)

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 企画展「昭和を彩る女優たち 松竹大船撮影所物語」は鎌倉市川喜多映画記念館(鎌倉市雪ノ下2の2の12)で27日までの予定で開かれていたが、新型コロナウイルスの感染拡大への対応として、同館は急遽(きゅうきょ)、31日まで臨時休館となった。以降についての問い合わせは同館(0467・23・2500)。

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【用語解説】鎌倉市川喜多映画記念館

 映画の発展に貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅を改修し、鎌倉市における映画文化の発展を期して平成22年に開館。映画資料の展示、映画上映などを行っている。夫妻は戦前・戦後を通じて欧州映画などの名作を日本に紹介し、日本映画も海外に紹介するなど映画を通して国際交流に尽力。旧宅は内外の映画人の交流の場となっていた。敷地内の別邸(旧和辻邸)は哲学者の和辻哲郎が東京で居宅としていた江戸後期の民家を移築し、海外から訪れる映画監督や映画スターたちを迎える場として使用していた。年2回、春と秋に一般公開されている。

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