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【かながわ美の手帖】藤澤浮世絵館「浮世絵双六と七福神」展 縁起物が勢ぞろい、庶民の楽しい正月

 「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」とばかりに「浮世絵双六(すごろく)と七福神」展が藤沢市の藤澤浮世絵館で絶賛開催中だ。えびす顔の恵比寿様、頭巾をかぶった大黒様、紅一点の弁天様…が宝船に勢ぞろい。判じ物も多く、頭の体操にも最適。オール双六のコーナーには幕末から平成までの“道中双六”が並び、庶民文化の楽しさを伝えている。

 ◆判じ物

 館内は4区画。その一つ、江の島コーナーには今回、「浮世絵七福神大集合」と題し、主に大判錦絵が16点展示されている。まずは歌川広重の「七福神宝船」がにぎにぎしくお出迎え。船上に“ザ・七福神”が全員集合の図だ。

 続いて、幕末期の人気浮世絵師、歌川国芳と国貞がそろい踏み。七福神をそれぞれ女性に見立てた美人画が並ぶ。

 国芳は「七婦久人」シリーズ。例えば「恵比寿」の女性は持ち物が胡弓。その弓を国芳は恵比寿が持つ釣りざおに見立てている。いわゆる判じ物だ。「大黒」では女性が傘を持っている。「当時の人はすぐにピンときたようだ。『大黒傘』という、はやりの番傘なので」と同館学芸員の細井守。

 国貞の「誹諧七福神」シリーズも判じ物。「弁天」は女性が書物を読む宿の灯火を、弁財天の頭上でとぐろを巻く蛇(宇賀神)に見立て、書物の冒頭には「江のしま」の文字。弁財天が祭神だ。

 喜多川歌麿の「見立七福神舟遊び」は幼い2人の禿(かむろ)を除く美人と若衆が七福神に当てられている。蚕から絹糸を作る過程を描いた歌川芳員(よしかず)の「蚕いとなみの図」(嘉永5年=1852年)では、その作業を七福神がにこやかに手伝っている姿が笑みを誘う。

 ◆文明開化

 企画展示コーナーは「江戸の楽しみ 浮世絵双六と七福神」。主に紙本木版多色摺の14点。「止まったマスで振ったサイコロの出た目の数によってさまざまなマスに飛び移りながら上がりを目指す『飛び双六』を庶民は大いに楽しんだ」と細井。

 奇想天外、荒唐無稽なストーリーで大ヒットした絵双紙「児雷也」をもとにした歌川国輝の「児雷也豪傑双六」(同年)には江の島、大磯、平塚の花水橋など実在の地名が登場する。江戸から京都まで向かう途中、伊勢神宮に立ち寄る経路を描いた広重の「参宮上京道中一覧双六」(安政4年=1857年)には、藤沢の遊行寺や龍口寺内の七面山なども記されている。

 守川周重の「東海道中名処(所)名物滑稽双六」は明治3(1870)年の制作。振り出しは東京・日本橋、上がりは西京(京都)で、日本橋の馬車以外、江戸時代と変わらぬ風景だが、輸入の始まった染料による鮮やかな赤や紫が文明開化を感じさせる。

 三代国貞の「世進(よはすすむ)電話双六」(明治26年)は東京と横浜で電話サービスが始まってから3年後の制作。各マスの間に電話線を張り巡らせた複雑かつ斬新な飛び双六だ。これにも行楽地として「江の嶋」が挙げられ、「全国一のよいけしき」と書かれている。

 「東海道汽車進行双禄(六)」は振り出しが神戸、上がりが皇居の二重橋。蒸気機関車による道中双六だ。すでに明治22年に東海道本線が全線開通し、各マスの名称も宿場名から駅名(国府津、大船、横浜など)に変わっている。大磯のマスは海水浴、横浜は中華街だ。

 小田急電鉄の「小田急ハイキング双六」は平成5年頃の制作。独特の消しゴム版画があしらわれ、後に有名となるナンシー関が手がけた可能性もあるという。=敬称略(山根聡)

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 「浮世絵双六と七福神」展は藤澤浮世絵館(藤沢市辻堂神台2の2の2 ココテラス湘南7階)で2月16日まで。午前10時から午後7時(入館は午後6時半まで)。月曜休館。入館無料。問い合わせは同館(0466・33・0111)。

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【用語解説】浮世絵双六

 「絵双六」ともいい、江戸時代に印刷技術の発達によって庶民の娯楽として普及。多くは浮世絵師が制作し、遊ぶだけでなく、鑑賞用として用いられた。「道中双六」、特に東海道五十三次を題材とした「東海道双六」は人気で、明治以降、汽車の旅に変わっても制作されている。

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【用語解説】七福神

 一般的には、福神として信仰される弁財天、毘沙門天、恵比寿、大黒天、布袋、寿老人、福禄寿の総称(弁財天が紅一点)。宝船とともに正月の縁起物として親しまれている。そろって絵画に収められていたり、初詣を兼ねた一定の区域内での「七福神巡り」が設定されていたりすることが多い。

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