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中村哲さん「職業に貴賤はない」 原点に祖母の教え

中村哲さんの祖父、玉井金五郎さん(右)と祖母のマンさん(左)の写真
中村哲さんの祖父、玉井金五郎さん(右)と祖母のマンさん(左)の写真

 アフガニスタンで凶弾に倒れた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の中村哲さん(73)は、同国の乾いた大地に用水路を造るため医師でありながら自ら重機を操った。その中村さんが幼少期を過ごしたのは、港湾労働者が多くいた北九州市若松区だ。「職業に貴賤はない」。人として大切なことは何かを教えた祖母の言葉と、故郷の景色に溶け込んだ労働者の姿が人生の原点だった。

 玄界灘に面した若松区は明治以降、筑豊地方から運ばれた石炭の積み出し港として栄え、中村さんの母方の祖父、玉井金五郎さんは港湾荷役業を営んだ。親分肌で、血気盛んな労働者を束ね、祖母のマンさんとともに火野葦平の小説「花と龍」のモデルにもなった。

 「おばあちゃん子だった」。夫妻の息子だった火野の三男で、若松区に住む玉井史太郎さん(82)は幼いころの中村さんをよく覚えている。そのマンさんは、汗まみれで働く人々に一目置いており、「差別はいけない」と中村さんや史太郎さんに繰り返し言い聞かせた。2人は、強い偏見を受けることもあった在日コリアンの労働者の「お兄ちゃん」によく遊んでもらっていた。

 11日の告別式では、活動を始める前の中村さんが身近な病で亡くなってしまう海外の貧しい人の姿に心を痛め、「命の不平等」を強い口調で語っていたエピソードが明かされた。マンさんも仏教の教えからどんな命も大切にするよう説き、昆虫や植物を愛し人間社会の不条理に敏感だった中村さんに影響を与えた、と史太郎さんはみる。

 中村さんと金五郎さんは風貌が似ていた。弱い立場の人を助けようと前に出て動いたり、正しい者が勝つと信じて突き進んだりする姿もそっくりだった。「最初はチョウが見たくて海外に行ったのに、目の前の困った人を助けたいと汗を流し続けてきたのは、哲君らしい」

 金五郎さんとマンさんは中村さんが子供のころ他界。玉井家邸宅は、市指定史跡「火野葦平旧居『河伯洞』」として公開され、史太郎さんが管理人を務める。帰国した中村さんも時折訪れ、懐かしんでいたという。

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