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中曽根元首相死去 群馬知事「戦後史の中でも名宰相」 県内で悼む声相次ぐ

 中曽根康弘元首相の死去を受け、県内では29日、地元議員や首長から悼む声が相次いだ。

 昭和63年から平成10年まで秘書を務めた岩井均県議は「本当に驚き、残念でならない」と声を振り絞った。人柄を身近でつぶさに見てきた岩井氏は「政治にも歴史にも詳しく、まるで体の中に国家があるようだった。『僕には時間がない』が口癖で、移動中も書類を見たり、英語のテープを聴いたりする姿が印象的だった」と振り返った。

 政治姿勢については「常に天下国家の視点で日本の将来を語った。『タカ派』のイメージとは裏腹に支持者ら人の話にしっかり耳を傾ける姿勢を持ち、県議選出馬の際は『地元を3度回れ』と激励されたことが今も記憶に残る」と話した。

 中曽根氏が悲願だった憲法改正を見届けないまま他界したことに、「折に触れ『日本人が憲法を作らねばならない』と語っていた。生きているうちに、と思っていただろう」と語った。

 県選出の清水真人参院議員は大学生時代に中曽根氏の事務所の雑用係を任されたことをきっかけに政界入りした。「本当に大きな衝撃だ。昭和という歴史の中で大きな役割を果たした政治家だった。教えを受け継ぎ、着実に政治活動に取り組みたい」と語った。

 自民党県連の星名建市幹事長は「まさに『巨星落つ』という表現が当てはまる政治家だった。憲法改正という遺志をしっかり継いでいく必要がある」と述べた。

 山本一太知事は「国鉄改革の実績など、戦後史の中でも名宰相に数えられる方だった。日本の国家観などの話をもっと聞いておきたかった」と悔やんだ。

 地元・高崎市の富岡賢治市長も「日本のみならず世界のため、そして高崎のために力を尽くされてきた偉大な方が亡くなり、誠に残念。心からご冥福をお祈りする」とコメントした。 (柳原一哉)

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 ■座右の銘は「三縁主義」 後輩・高高生にエール

 「結縁、尊縁、随縁」。中曽根康弘元首相は、この3つの縁を「三縁主義」として座右の銘にしていた。2世議員でもなく地盤、看板もない中、政界に出た中曽根氏にとって縁は欠かせなかった。

 特に大事にしていたのが母校・高崎高校(卒業時は旧制高崎中学校)との関わりだ。同窓会名簿には「名誉顧問 35期生」として筆頭に名が出てくる。自身も78期生の加藤聡校長は「時折、学校にも訪ねてこられ、生徒たちを励ましていただいた」と感謝する。

 現役首相だった昭和58年には「卒業生の一人として」と題し、同校で講演。「大きな志をもって精進に励むように」と呼びかけ、平成19年の創立110周年式典にも同窓生代表として祝辞を述べ、「高高(たかたか)は永遠である。高高生、頑張れ」とエールを送ったという。

 「徒手空拳の中からの政治活動でしたから、仲間づくりは大切だったのでしょう。本当に母校を大事にしてくれた大先輩でした」。加藤校長はそうしのんだ。

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