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平安前期の貴族園池確認 数十年で廃絶か 京都の花園大キャンパス

上流貴族邸跡から出土した池跡(手前)。完成からわずかの間に邸宅とともに廃絶したとみられる=京都市中京区
上流貴族邸跡から出土した池跡(手前)。完成からわずかの間に邸宅とともに廃絶したとみられる=京都市中京区
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 京都市中京区の花園大学キャンパスから、平安時代前期の上流貴族が庭園に設けたとみられる池跡とそれに連なる溝の跡などが出土して、27日に花園大学考古学研究室(高橋克寿教授)が発表した。自然の地形を巧みに利用して池を設けながらも、わずか数十年後の9世紀中ごろに邸宅の廃絶とともに放置された可能性が高いという。

 遺構は平安京でも湿地の多さなどから10世紀に荒廃する右京域にあたり、平安時代中期の貴族、慶滋保胤(よししげのやすたね)の著書「池亭記」にはその様子が描かれる。今回はその記述よりもかなり早い時期から、右京の衰退をうかがわせた史料として注目されるという。

 今回は新校舎建設に伴い、同研究室が右京二条三坊九町の中心部、約360平方メートルを調査。最大幅約4メートルの南北溝跡が出土し、溝の途中から東へ向かう東西溝(幅約0・9メートル)も付属していた。

 南北溝は北で池に接続。池跡は現状で南北約5メートル、東西約7メートルで底から皇朝十二銭とみられる貨幣が出たが、さびで解読不能だった。さらに南北溝の西から直径約30センチの柱跡が出土し、大規模な建造物と推測されるという。

 これまでの周辺調査で、ここの住人は1町(120メートル)分を宅地にし、一緒に出土した高級陶磁器からかなりの地位の貴族の可能性が高いという。

 しかし邸宅の完成後わずか数十年で廃絶しているため、同研究室は水の制御が難しくて捨てたか、当時頻発していた「承和(じょうわ)の変」などの貴族間の争いに巻き込まれた可能性も含め、早期廃絶の原因を検討する必要あるとしている。

 現地説明会は30日午前11時から。小雨決行。当日の問い合わせは同大学総務課(075・823・0578)へ。

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