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【彩人国記】食品機械分野で活躍 ドリマックス・松本英司社長(55)

 ■経営の視点に立ち、販売に力

 国内外の「食」を支える食品機械分野で活躍している中小企業が県内にある。ドリマックス(川口市)は開発力に定評があり、1台でスライスや千切り、ダイスカットの3役の機能を持つ加工機の販売で、平成30年に「渋沢栄一ビジネス大賞(テクノロジー部門)」を受賞した。松本英司社長に今後の事業展開や自身の歩みなどについて聞いた。

 --昨年、大阪に移住した

 「わが社の顧客は売上高で見ると、関東4~5割、近畿1割、九州1割、海外2~3割で、東日本に偏っていた。近畿圏は食品機械分野で開拓の余地が大きいと判断し、思い切って大阪への移住を決めた。ビデオ会議の活用で、業務も滞りない」

 --移住で新たに見えてきたことは

 「経済は東京が中心ということが改めて分かった。ビジネスチャンスが多い。東京を離れて、さらに遠くも見えてきた。ドイツの食肉の展示会に出展し、規模の大きさを実感した。欧州の規格も取得したので、1年半後に欧州に移住することも考えている。将来的に海外の売上高を全体の5割以上に引き上げ、会社を成長させたい」

 --会社の経歴は

 「私は2代目で父が昭和35年に創業した。電動の刃物研ぎ器や小型調理器などを手がけ、OEM(相手先ブランドによる生産)の専業だった。先代は技術力はあるものの、経営には向いていなかった。平成8年に私が入社し、自社販売も始めた」

 --それまでの松本社長は

 「16~21歳まで高専の工業デザイン科に通い、ヤマハ発動機に入社し、スクーターのデザインなどをしていた。もともと勉強が苦手で絵を描くのが好きだった。小学校の国語のテストは長文が読めず、漢字も書けないので、5分で終わった。テスト用紙の裏側に絵を描いていたぐらい。先生は表側は20点だけど、裏側は80点で合計100点をくれた。図画と工作の通信簿はいつも5だった。車が好きで、動体のデザインをやりたくて、工業デザインの道に進んだ」

 --ヤマハ発動機の入社後は

 「入社から4年後に米ニューヨークに渡り、ハンドルメーカーに就職した。永住権も獲得し、デザインスタジオが集まるカリフォルニアに移住する計画だったが、日本に一時帰国し、モデルチェンジのデザインを手伝った。それが売れず、倒産しそうになり、そのまま残った」

 --どう会社を再生させたのか

 「入社時に自社ブランド『ドリマックス』シリーズを立ち上げたが、全く売れなかった。『グッドデザイン賞』に応募し、再起を図った。2度受賞したが、販売が重要だと思った。展示会に積極的に出展し、プロモーション活動に力を入れた。(マーケティング戦略の)ブランディングも高めて、少しずつ顧客を増やしていった。ようやく16年くらいに軌道に乗った。開発力はあるので、今は経営の視点に立って販売に力を入れている」(黄金崎元)

                   ◇

【プロフィル】松本英司

 まつもと・えいじ 育英工業高専(現サレジオ工業高専)卒業後、21歳でヤマハ発動機に入社。25歳の時に渡米。平成8年にドリーム開発工業(現ドリマックス)に入社し、17年に社長に就任。さいたま市出身。55歳。

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