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東松島・野蒜で「伝承フォーラム」 語り始める、いいきっかけに

 夏の暑さが去り、亡き人に思いを致す秋の彼岸。涼しい風が吹き抜ける土曜の夕べに、宮城県東松島市野蒜(のびる)地区の野蒜市民センターには近隣の住民たちが集まった。21日に「震災伝承フォーラム」と題したイベントでマイクを握ったのは、東日本大震災で被災し、さまざまな形で震災を語り継ごうと取り組む人たちだった。

 ■まずは家族の中で

 震災伝承フォーラムで最初に登壇した大学生、雁部那由多(がんべ・なゆた)さん(20)は、東松島市立大曲小5年の時に学校で被災した。目の前で津波に流される大人、人間の醜い部分も見えた避難所生活。そんな記憶を人前で語り始めたのは、震災から3年後だった。

 今は大学で災害社会学を学ぶ。災害が絶対に起こらない「神域」はないと強調し、「皆さん記憶を後世に残してほしいというのが私の願いです」と話した。

 震災から1カ月後、石巻市南浜の自宅兼水道工事店の跡地に「がんばろう!石巻」と書いた看板を立てた同市の水道業、黒沢健一さん(48)は、同市渡波(わたのは)など被災各地に震災前後の地区の様子を伝える看板を設置するプロジェクトを続けている。

 「がんばろう-」の看板周辺は、国と県、市が「石巻南浜津波復興祈念公園」を整備中。一方で黒沢さんは、毎年開催される追悼行事に出席する中で「伝わらなくなっているな、と感じる」と本音を明かし、「どこでも必ず何かの災害リスクはある。いちばん身につくのが『家族防災』。家族の中で伝え合うことが大事だ」と訴えた。

 ■記憶の風化に懸念

 「震災伝承フォーラム」を企画した野蒜まちづくり協議会は今年度、県の補助金を受けて「心の復興事業」を展開。今後は秋祭りや環境視察ツアーを行う予定だ。

 同市では震災で1109人が犠牲になった。市民センターがある野蒜ケ丘は、防災集団移転団地として高台に整備され、真新しい住宅が立ち並ぶ。協議会の菅原節郎会長(69)は、「犠牲者の半数が野蒜だった。こんなに被害を受けたのに、記憶が風化しているという危機感があった」と語る。

 参加した同地区の女性(66)は、震災で両親を亡くした。「体験はあるけれど、話したくなく、聞きたくもなく、封印してしまっていた」と話す。それでも最近、「伝えることは大事だ」とも思うようになった。岩手県大槌町が今年8月、被災した役場職員への聞き取りによる震災記録誌「生きる証」を発行。そのことを知ったのがきっかけだったという。

 単純に色分けできない感情が、語ることの難しさに拍車をかけていた。それでも「今日はいいきっかけになったと思う」と話す。

 ■証言集作成を検討

 この日のフォーラムでは災害用調理不要食の実食体験や、照明を落として音楽を流す時間も設けた。菅原会長は「重たい気持ちだけで帰ってほしくなかった」と話す。

 新しい町にも、癒えない傷を抱えた人はいると考えている。そんな中でも、震災10年の節目までに、野蒜地区独自の震災証言集を作ろうと構想を練っている。

 「客観的に経験を見つめることで救われることもあると思う。今日を契機に語ることを始めてくれれば」。切実な表情で話す菅原会長の言葉には、実感がこもっていた。(千葉元)

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