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相模原殺傷3年 政治と行政の責務どこへ ほどけぬ「差別の結び」

 青年の葬儀は、病院の霊安室で営まれた。日本障害者協議会の藤井克徳代表(70)が、精神障害者の作業所を立ち上げて間もない20代の頃。その青年は調子を崩して作業所に来られなくなり、自死した。母親は「地元ではこの子はいないことになっている。家で葬儀はできない」と言った。相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件で、死者19人は「家族の意向」で匿名のままだ。「匿名は不自然だが、家族を責めるのではなく、そうせざるを得ない背景を同時に捉える必要がある」と藤井さんは言う。

 その青年の葬儀の参列者は数人。火葬場への搬送も霊柩(れいきゅう)車でなく、遺体搬送車だったという。

 ◆家族責任の重さ

 藤井さんは後に、この時の心境を歌に詠んだ。〈出棺を 見送る人の 影まばら 死してほどけじ 差別の結び〉。それから半世紀近く。藤井さんは「差別の結びは一層強固になっていないか」と問う。

 障害基礎年金の水準の低さと扶養義務など家族責任の重さ。それ故に本人の我慢、家族の負担で成り立つ地域生活。藤井さんは「事件を機に障害者問題の本質を問うことが真の追悼になる」と語る。

 相模原殺傷事件だけでなく、障害を理由に苦しみの中で絶たれた命に、心を寄せるよう呼び掛ける。

 ◆胸が詰まり…涙

 人影のまばらな法廷。手錠をされた同年代の母親の姿に胸が詰まり、トイレに駆け込んで涙を流した。新井たかねさん(73)は十数年前、無理心中しようと知的障害がある10歳の息子を殺害した母親の公判を傍聴した。面識はないが、近所の住民で人ごととは思えなかった。

 新井さんの長女、育代さん(47)は重症心身障害がある。言葉はなく、自ら動くことも困難だ。「娘は不幸なのでは?」。乳児期、そう考えたこともあった。「発達は無限」という言葉に「うちの子は当てはまらない」と言い返したことも。「私の中にも優生思想はある」

 それでも出会いに恵まれ、少しずつ乗り越えてきた。ある教師は「どんなに重度でも社会の役に立つ。周りの人に自分の生き方や社会の在り方を考えさせてくれる」と言ってくれた。後に社会福祉法人「みぬま福祉会」を立ち上げ、育代さんが現在暮らしている入所施設を一緒につくった。

 ◆「もう頑張れない」

 自分が暮らしたいと思える、重度でも断らない施設という目標を新井さんは仲間と実現した。だが支援と暮らしの場がなければどうだったか。「命と尊厳を守るのは本来、政治と行政の責務なのに、果たされているのか」

 育代さんは、障害者自立支援法違憲訴訟の原告になった。サービス利用を原則1割自己負担とした応益負担が「障害の自己責任化だ」として全国各地で提訴し、和解。国が反省を表明、障害者運動の金字塔とも言われる。

 だが平成22年3月、育代さんの訴訟が和解した翌日の新聞を読み、新井さんの胸は痛んだ。笑顔の自分たちの記事のそばに同じ日に起きた親子心中の記事を見つけたからだ。「もう頑張れない」。報道にあった、障害のある子を殺害した母親が残したというメモ書きが今も頭を離れないという。

                   ◇

【用語解説】相模原事件の匿名問題

 相模原の障害者施設殺傷事件で、県警は「遺族の強い要望」などを理由に被害者の名前を公表しなかった。横浜地検も起訴時に名前を明かさず、来年1月に始まる初公判でも匿名で審理される見通しだ。重大事件の場合、捜査機関は原則、実名を公表している。「障害者差別」「追悼ができない」といった批判が出ている。

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