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陸軍飛行場跡地を文化遺産に 栃木・壬生の元通信員、伝承訴え

 「当時のまま残っているのは、今は個人の所有地にある防火水槽の円形の跡だけ」と指摘する岩田さん。飛行場跡地は開拓地となり、入植者に対して農業訓練が実施された。終戦翌年の同21年、開拓団が設立され、350ヘクタールの広大な原野を切り開いた。同40年には輸出玩具の工場団地が操業を始め、東武宇都宮線におもちゃのまち駅ができ、その後も独協医科大学病院が設立されるなど開発が進んだ。今では、激動の歴史を思わせるものは残されていない。

◆歴史風化に危機感

 岩田さんは戦後、宇都宮大学を卒業し小学校の教員として定年まで勤めた。歴史が風化していく危機感から、独自に「飛行場跡地の覚書」をまとめ、町などに寄贈。しかし、飛行場を知る人や入植者などの高齢化が進み、語り継ぐ難しさを感じている。

 「飛行場関係者はもう自分だけ。飛行場があって開拓地があって、おもちゃ工場の団地ができた。この地域の歴史を伝承したい」と岩田さん。町の文化遺産として、飛行場跡の石碑と名標を設置できないかと願っている。

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