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長岡京跡に複数の大型建物跡 造営直前の建設、身分高い人物の邸宅か

 桓武(かんむ)天皇が長岡京(784-94年)を造営する直前に都を建設するために建てられたとみられる大規模な建物跡が長岡京市下海印寺の同京跡から複数出土し、同市埋蔵文化財センターが発表した。造営に深くかかわる身分の高い人物の邸宅とみられる。まだ都の土地区画が定まっていない時期に建てられているだけに、建物の向く方向がその後に定まる都の方位と異なっており、同センターは「長岡京造営期の様子を伝える生々しい史料」と評価する。

 病院建設に伴い、同京右京八条三坊十六町の想定地を約4千平方メートル調査したところ、3棟分の掘っ立て柱の建物跡と門とみられる柱列を確認した。

 敷地内のほぼ中心に建つ南北に庇(ひさし)の付く正殿(せいでん)とみられる建物は東西15メートル、南北13・2メートル。その西隣からは東に庇の付いた脇殿とみられる建物、さらにその東隣からは東西11・4メートル、南北24・3メートルで東西の両側に庇の付いた細長い建物跡が出土した。

 細長い建物跡内には、酒などを保存していたとみられる十数個の甕(かめ)を整然と据えていた跡が見つかった。

 また調査地の南端からは柱列が「L」字状に出土した。全貌は確認されていないが、柱の間隔は2・7メートルで、正殿の延長線にあたる部分の間隔が約4メートルと極端に広くなっているため、出入り口門の可能性高いという。門と正殿の間からは門の外から中を見えにくくする「目隠し塀」のような柵列も出た。

 建物の柱はいずれも直径25~30センチで、軒丸瓦(のきまるがわら)、軒平瓦(のきひらがわら)が少ないため、建物の屋根は桧皮葺(ひわだぶき)きの可能性があるという。一緒に出た土器や瓦などから同京の造営直前の8世紀後半に建てられたらしい。また、いずれの建物も同京が向く方角よりも西に8度傾き、遷都から数年を経て都の形がはっきりとしてきたころに解体されたとみられている。

 同センターは「長岡京造営の指導に当たる人が、計画段階で乗り込んできたために、都の区画を意識しながら家を建てたが、結果的にはブレた様子がよくわかる」と話している。

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