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【坂東武士の系譜】第4部・激動の時代(24) 塩谷孝綱 存在感示した宇都宮宿老中筆頭

御前原公園にある麻疹地蔵尊=矢板市早川町
御前原公園にある麻疹地蔵尊=矢板市早川町

 天文7(1538)年12月2日、宇都宮二荒山神社の式年遷宮で社殿造替を祝う能興行が、ふもとの神宮寺・慈心院で行われた。その記録は、宇都宮家の宿老中(しゅくろうちゅう)(重臣層)の筆頭に「塩谷伯州」を挙げている。伯耆守(ほうきのかみ)を名乗る塩谷孝綱である。しかも能の初番「竹生島(ちくぶしま)」を演じたのは「二男一良(いちろう)殿」(一郎)。塩谷氏の存在感が示された場面である。県立博物館学芸部長の江田郁夫さんは「塩谷氏は宇都宮氏の有力一族。孝綱は重要な時期にリーダーシップをとった」と説明する。孝綱は宇都宮正綱の子で、養子として塩谷氏の家督を継いだ。

 重臣・芳賀氏の台頭する中、正綱の巻き返し策であり、孝綱は芳賀氏に対抗して兄・宇都宮成綱(しげつな)やおいの宇都宮忠綱を支えた。塩谷荘(矢板市など)だけでなく、小山氏との境界に近い金井宿周辺(下野市小金井など)も支配下にしていた。

 30年以上、宇都宮氏を支えて活躍したが、晩年は主家と対立。天文8(1539)年、宇都宮尚綱(ひさつな)と芳賀高経(たかつね)の対立が表面化した際は高経側についた。宇都宮家中の新興勢力、壬生氏が急速に力を伸ばす中、対抗する塩谷氏と芳賀氏の利害が一致したということか。

 江田さんは「忠綱失脚がターニングポイント。新当主(尚綱)の権力強化の過程で、先代からの宿老が煙たがられた」と指摘。孝綱は、高経が尚綱に謀殺された後も那須氏と組んで宇都宮領内を攻めた。

 塩谷の嫡流は弥六郎を名乗り、孝綱の嫡男は塩谷由綱(よしつな)。一郎はその弟、塩谷孝信か。由綱は父の追善供養のため石地蔵を建立。御前原(ごぜんばら)城本丸跡の御前原公園(矢板市早川町)にある「麻疹(はしか)地蔵尊」に収められている。

■塩谷孝綱(しおのや・たかつな)?~1546年。宇都宮正綱の子で、兄に武茂兼綱、宇都宮成綱。

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