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【人語り】司馬遼太郎「峠」の舞台、八十里越のガイド・大竹晴義さん(59)

 ■先人たちの道跡残す

 三条市から福島県只見町まで続く峠道「八十里越」。幕末の長岡藩の家老、河井継之助が北越戦争で敗れ、この道を落ち延びた。「八十里こしぬけ武士の越す峠」。継之助の辞世の句が読まれたとされる峠道を整備し、登山者のガイドをしているのが、大竹晴義さん(59)だ。(池田証志)

 子供の頃から山歩きをしていましたが、登山を始めたのは30代後半です。50歳になってから、八十里越をテーマにしました。幕末の長岡藩家老、河井継之助が通った道です。長岡藩の人たちがどうやって逃げていったのか。地元の歴史を知るに連れ、歩いてみたいと思うようになりました。

 八十里越は、歴史的な意義付けが豊富な上に、人が入りにくいところです。標高は高いところで900メートル。えぐれた沢や地滑りで流された場所、夏草が生い茂ると道が分からなくなる場所が多く途中でやめる方もたくさんいます。そんな整備されてない峠道を歩いた人は優越感を持つのではないでしょうか。

 毎年5月後半から9月後半まで八十里越に行きます。多い年で10回ほど山に入りますが、道の整備や江戸・明治と開削された道の調査を行っています。

 ふだんは足袋かスパイク付き長靴で草刈りをしながら、片道5キロほどを歩きます。草刈り機やチェーンソーをおぶっての作業ですので重労働です。9月になると夏草が2メートルの高さまで茂っているので、とにかく作業に時間がかかります。福島県只見町と魚沼市の同志と連携しながら作業を行っています。

 八十里越の全長20キロを歩くのは年1、2回くらいでしょうか。去年、ツアーを組んだときは片道だけで13時間かかりました。ガイドの講習を受けたり、ネットで調べたりと日頃から勉強をしています。安全管理ができなければ、ガイドができないからです。

 八十里越には、先人たちの生きるための努力の跡が多くあります。消えかけている道跡と記憶を残し、「多くの人に知っていただきたい」と整備とガイドを行っています。山の中で「ご苦労さま」と声をかけていただき、一緒に整備をしてくれる人が少しずつ増えていることが喜びです。

 来年は、司馬遼太郎が河井継之助の生涯を描いた「峠」や、最後の瞽女(ごぜ)(盲目の旅芸人)といわれ、八十里越を越えた小林ハルさんの物語「瞽女」が映画化されますが、そのエキストラとして撮影に参加しました。それがご褒美みたいなものでしょうか。

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【プロフィル】大竹晴義

 おおたけ・はるよし 昭和34年、三条市(旧下田村)出身。自動車修理・販売会社勤務。平成27年、旧下田村地区の活性化を図るNPO法人「しただの里」を設立し、理事長に就任。八十里超を整備する「八十里倶楽部」を運営する。

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