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【ラグビー史伝 迫るW杯 彩の国】歴史編(5) 熊谷工初Vと競技場完成…悲願実る

 昭和から平成へ-。県勢の高校ラグビー界は昭和時代、「花園」優勝校を輩出することはできませんでしたが、平成に入って2つの明るい話題が飛び込んできます。

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 各地から史上最多の54校が出場した第70回全国大会(平成2年度)。「70回」という節目の記念大会だったので、加盟校数の多い埼玉は出場枠2校となり、第1代表は熊谷工、第2代表は行田工(現在の進修館)が出場しました。前監督の森喜雄が後任監督として託した教え子の塚田朗率いる熊谷工。攻守のバランスが取れた好チームとして前評判が高かったわけですが、記念大会の注目は日本代表候補5人を擁したスーパースターぞろいの天理(奈良県)が連覇するかどうかに絞られていました。

 順当に勝ち上がった熊谷工は準決勝で強豪の大阪工大(大阪府)を接戦で退けて、初優勝を逃した第66回全国大会以来の決勝進出を決め、雪辱の舞台が整いました。

 決勝の相手は予想通り連覇を目指す天理。ゴール前のモールラッシュ、出足の鋭いディフェンスのタックル-。熊谷工の猛攻で天理の持ち味を封じ込め、相手をノートライに抑える完勝で初優勝をつかみました。熊谷商工時代から数多くの花園出場に加え、天理の連覇を阻止した県勢の栄冠は、マイナー競技として苦難の道のりを脱した瞬間でもありました。

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 県勢初優勝は、建設中だった県営熊谷ラグビー場の完成が2カ月後に迫っているという、もう一つの明るい話題も重なり、当時、県内の喜びが倍増したことは間違いありません。

 その県営熊谷ラグビー場は3年3月に完成の運びとなりました。記録によると、昭和54年5月に熊谷ラグビー場建設の陳情以来、10数年余を経てようやく県ラグビー関係者の悲願が実現しました。当時の県ラグビーフットボール協会会長の宮田守夫は「観客2万4千人収容できるメイン競技場、サブ競技場や多目的広場があり、全てを利用すれば3面一度にゲームが可能な公営競技場は他に例がない」と語っています。

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 一方、県内高校ラグビー界を盛り上げた功労者の森は定年退職で熊谷工を離れた後、埼工大深谷(現在の正智深谷)のラグビー部監督として活躍。古巣の熊谷工が初優勝した第70回全国大会の翌年度の大会で、埼工大深谷が初出場を果たし、森の強いチームづくりの手腕は健在でした。

 その後は熊谷工、行田工、埼工大深谷の3強時代がしばらく続きます。第77回全国大会(平成9年度)以降は埼工大深谷がトンガの留学生パワーもあって8回連続(正智深谷時代含む)で県代表の座を射止めました。第79回全国大会(11年度)では熊谷工以来の決勝に進出。惜しくも県勢2度目の優勝は逃しましたが、その実力を全国に見せつけることができました。

 深谷も頭角を現し、第85回大会(17年度)に初出場し、しばらくの間は深谷市内の正智深谷と深谷の死闘が毎年度繰り返されていきます。そんな中で25年度の第93回全国大会に古豪・浦和が久しぶりに出場し、話題となりました。

 昌平も第97回全国大会(29年度)に初出場するなど、これまで花園出場といえば、県北地域の高校がほぼ独占していた勢力図に変化がみられ、県内高校ラグビー界のレベルが全体的に向上してきた象徴といえそうです。=敬称略(松本博之・ぶぎん地域経済研究所取締役調査事業部長)

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